HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報623号(2020年12月 1日)

教養学部報

第623号 外部公開

<送る言葉> 豊島陽子先生を送る

矢島潤一郎

豊島陽子先生を「送る言葉」の執筆依頼を受け、研究・教育・行政と三拍子揃って今も ご活躍をされているのに、ある年齢で一律にご退職という制度はまったく不合理だな、と率直に頭に浮かびました。私が言うのも烏滸がましい限りですが、駒場にとってもったいないと。
豊島先生といえば、細胞の中で働くタンパク質を"生きたまま"丁寧に取り出し、そのタンパク質の相互作用関係をスライドガラスの上で再現させ、それらが微細に動く様を厳密に定量する、といったリバースバイオエンジニアリングともいうべき研究手法を駆使し、モータータンパク質分野で先駆け的な研究をされてきました。言葉で書くと容易いように思われるかもしれませんが、目に見えないほどの小さなナノメートルサイズのタンパク質の取扱いは暗闇の中で物を探すようなもので、実験の成功には相当な粘り強さが必要です。さらに、三度にわたる英国・米国での留学で得た、当時の最先端技術を日本にもたらしつつ、この分野を開拓していった第一人者でもあります。独自に作り上げた秘伝の実験プロトコルや未公表の成果などを共同研究者ばかりでなく多くの研究者に惜しみなく伝授し、モータータンパク質分野が生物物理学の重要な一分野としての地位を確立するのに多大な貢献をされました。豊島先生の、この研究者として研究に取り組む丁寧さと厳密さと粘り強さと寛容さは、教育者として学生に対する接し方にも一貫していたことと思います。言葉を交わす関係にある一人一人の学生に、その場では答えが見つけられないような問題であっても、時間をかけて丁寧に、粘り強く、諦めずに、何度でも対峙してくださったことで、才能を開花させていった学生が多数いるのではないでしょうか。
四半世紀ほど前、私が学部四年生の頃、今は亡き四号館の一室で、豊島先生から、「物理学的な手法も駆使してタンパク質の動きの仕組みを解明する生物物理学の話」や、今になって思えば基礎科学科(現統合自然科学科)らしく「ペンローズ博士が提唱していた量子脳理論(その真偽は不明だが)のような学際的な話」までを伺いました。話の節々からいかにも実験が楽しい、実験を通してなにかをわかってゆくのが本当に楽しい、という雰囲気がある先生でした。その印象は当時から今に至るまで何一つ変わりませんし、「タンパク質こそ生命の担い手だ」という信念で、飽くことなくモータータンパク質の分子機構を探求される姿勢は、昨今では忘れられそうな美徳の一つでもある「勤勉であれ」という後進に対するメッセージとしても受け取れます。
私は先生の傍で長く日々を過ごさせていただきましたが、勿論様々な点でまだまだ先生の域に到達できないでおります。今後、先生がいなくなられたこの駒場の中で、事あるごとに「豊島先生であれば、どうされるだろうか」と自問し、先生が残された後進への道しるべを探ってゆくことになるでしょう。豊島先生の今後のご健康とますますのご活躍を祈念しつつも、変わらず温かくご指導いただけたら幸いです。

(生命環境科学/先進科学)

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