HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報623号(2020年12月 1日)

教養学部報

第623号 外部公開

<時に沿って> 専門は何でしょう

小粥太郎

二〇二〇年九月一日に着任した小粥太郎(こがゆ・たろう)と申します。Aセメスターは、教養学部前期課程の法Ⅱなどの科目を担当しております。
ようやく、駒場キャンパスの研究室にも迷わず通うことができるようになり、実際に、授業も始めております。とはいえ、このところの社会情勢ゆえに、守衛さん、事務室の職員の方々を別にすれば、学生さんとも、同じキャンパスの教員のみなさまとも、パソコン越しに交信するばかりなので、物理的に私の体が駒場キャンパスに在っても、自分がいったいどこに居るのかわからないという気分が抜けません。
さて、大学教員が自己紹介をする場合、自らが専門とする研究分野を明らかにして、その分野でどんなことをしているのかを語るのが定番だろうと思います。私の場合は、法学領域のなかでも、民法分野のいくつか、とくに契約法が専門であるということになりそうです。しかし、自分で、民法なり契約法が専門であると自己紹介をいたしますと、それは自分のことではないような気もして参ります。
たしかに私は、二十年以上にわたって、母校の早稲田ほかいくつかの大学で、法学を専攻する学生さんを相手に、民法の各分野の授業をしておりました。間違いなく民法の教師でした。その間、授業も、読むことも、書くことも、概ね楽しんでおりました。ところが研究者としては、関心が定まらない上に生産量が小さく、まとまった成果を出せておりません。それどころか、若かりしころには、弁護士になろうとしたり、役所勤めを試みるなど、今にして思えば研究者稼業からの逃避的な行動もありました。
にもかかわらずそれなりに長い間、私が民法教師をつづけることになったのは、民法を勉強することで、いままで見えなかったものが見えるようになったり、見えていたものが違った姿に映るようになる感覚が楽しかったからだったような気がいたします。幸い、民法は、市民社会の基本的な構成原理を体現する法であり、人間や社会を観察する便利な道具になりそうなものです。そんなことを考えていた時期に、教養学部・総合文化研究科に採用していただくことになりました。駒場キャンパスで、「民法」という科目名の授業を担当することはないはずなので、私にとっては、ちょっとした方向転換になります。
これからは、民法から出発しつつも、法、法学、あるいはこれらを通じて人間や社会を観察することの魅力をどうやって伝えるか...当面はこれが、教師としての課題になると同時に、研究者としての課題にもなるのではないかと考えております。何が専門だということになるのか、自分でもますますわかりません。
当面はパソコン越しのお付き合いになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

(国際社会科学/法・政治)

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