HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場の、ちょっと生焼けマドレーヌ

ドゥヴォス・パトリック

 最後の日、正門を背にしてキャンパスから遠ざかっていく彼(自分)の姿を想像する。途中できっと、振り返るだろう。もう一度、何百回、何千回と眺めた風景を見る。このごろ激しくなった気候の変化が老化を早めたが、それでもまだ堂々とそびえる一号館前の楠を眺める(博物館前の大好きなヒマラヤ杉はもう視野に入らない)。その木陰で学生、同僚、外国の客人と交わした立ち話。自分がかかわった講演会、シンポジウム、ワークショップに足を運んで下さった田中泯さん、岡田利規さん、はるばる来て下さったエドゥアール・グリッサン氏、ジャック・ランシエール先生、アンリ・メショニック先生、ピエール・バイヤール先生、アラン・ブロサ先生、ヴァレール・ノヴァリナ氏といった巨匠達を、この正門前で出迎え、そしてお別れしたこと。ベルギーの小説家ジャン・フィリップ=トゥーサンに演じてもらったフランス語初級会話のスケッチの撮影シーン。そうしたことを長々と思い出すのだろう。芝居の観過ぎでものを素直に見られなくなったせいか、ひょっとしたら『忠臣蔵』の城明け渡しの場を彷彿するかも知れない。城の赤い門から花道へ一歩一歩離れていき、進んだり立ちすくんだりしながら、深く思案する由良之助の引っ込みを、烏滸がましくも自分に重ねながら...。映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインが論じた、この場面における主人公の内的な時間の複雑な流れを音楽や空間の表象の次々と大きく変化する見事な演出を想像で実感してみるだけだが。ハムレットが「The time is out of joint」とかすかにつぶやく声が聞こえてきそうだ。(河合祥一郎訳では「いまの世の中はたがが外れている」になっているが、仏訳ではtimeは「時間」とよく解釈されており、誤訳だとしても効果的だ)。
 何十年の記憶をたぐり寄せるための工夫や距離を、まだ探る必要がある。そもそもなぜ、浮き草の自分は地球のなかでこの場所に選ばれ、人生の半分近い年月をここで過ごしてきたのか。最初にこの門をくぐったのはいつだったろう。九二年の採用より更なる昔で、確か八四年秋からの二度目の日本留学の時だったはずだ。留学とは、又大げさな言葉。生活を保障する碌な食扶持もなく、パリで時折お会いしていた渡邊守章先生のハンコが押された指導教員承諾書を唯一の命綱として、不安を全身で覚えながら、この正門をくぐったことを思い出す。守章先生は当時ジェネーブ大学に客員教授として招聘されていたため、代わって高橋康也先生が私を担当して下さった。二年間のうち、先生の授業に何回出席したのかは恥ずかしくて言えないが、これが縁になったか、その数年後に自分がかかわったベルギーでの大規模な日本展の際、蓮實重彦先生にお目にかかる機会を得た。その間の一九八八年に、お名前を挙げた三名の大先生は「表象文化論」という文化研究のための新しい学科を駒場に創設された。そんなこととはつゆ知らず、日本に戻ってきていた一九九一年の秋に突然の電話が。「表象に来ないか」というお誘いだった。ええ? 非常勤でも、外国人講師でもなく、助教授のポストというだけにますます信じられず、お伽話に巻き込まれたかのように少しも実感が湧かなかった。表象文化論のいわゆる「神々の時代」ならではの天の恵みか奇跡だったのだろうか? ふたを開けてみれば、八〇年代から中曽根首相が促進した世界の大学と競争できる大学の国際化が背景にあり、この政策の遅れた副産物として、私はいわば生まれ変わることになったのだ。どれほどの重責を前提とするポストなのか、当時は充分に意識していなかった。大学を世界へと開くプロセスは、レーガンやサッチャーによるネオリベラリズムが加速させたグローバリゼーションの一環といえるが、狭いとはいえ自分が手の届く範囲内で可能な限り改革や企画に参加した。フランス語教育を実践的なコミュニケーション中心のものへシフトしたり、自分の奥底に眠っている「ワールド」の部分(「故里」アフリカへの郷愁も含めて)を掘り返したりして、幅広い視点からフランス語への欲望を育むよう工夫してみた。忘れられないのは、十数人の学生を引率したフランス研修だ。アヴィニョン演劇祭でむさぼるように沢山の舞台を観劇し、それから、プルースト『失われた時を求めて』の中のマドレーヌ菓子を食べて無意志的記憶が蘇る場面で有名なレオニ叔母の家を訪問した。考えてみれば、着任した九二年はまだのんきな時代だった。そこから世界は少しずつ確実に変わっていった。いや、インターネット革命が具体化し始めると、文字通り光線のスピードで、変動が重なっていくようだった。ルワンダのジェノサイドに次ぐコンゴの二つの戦争、数々の武力紛争、9. 11とテロの蔓延化、移民の億単位での膨大な増加、日本の3. 11、増える一方の不平等、子供たちの未来を縛る歯止めのかからない温暖化...。私の二十九年間の駒場時代は激動の時代とともにあったが、それに完全な終止符を打つかのような現在のパンデミック。どう考えても、The time is out of jointだ。
 こういった世界の現状に応えるような教育を行ってきたのか、とつぶやく声が聞こえてならない。勿論反省することしきりだが、この二十九年間を経て、教えることが何なのかということがようやく少し見えてきた気がしている。それは多くの駒場の学生との対話によって少しずつ学んだことである。学生のみなさん、至らないことが多かったかもしれませんが、本当にありがとう。そして、長らく、役職などにおける私の無能を許し、想像しうる以上にいつも寛大に、やさしく見守ってくださったフランス語部会と表象文化論の先生方に、言葉では言い尽くせない筈だが、一番自然に私の口から出るMERCI!をお伝えしたい。また、どこかで、お会いしたいと思います。視野を更に広げるために、遠くへと飛ぶかも知れません。たとえば、コマバからバマコへと。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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