HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<時に沿って> 北の国から vol.2

岩井智弘

image10_4.jpg 総合文化研究科広域科学専攻・講師着任を翌日に控えた令和二年十月末日、慌ただしく職場と自宅を片付け、一足早い晩秋の新千歳空港を飛び立った。飛行機の急加速と相まって、期待と不安の入り交じった気持ちは高まっていく。この感覚は初めてではない。
 私は群馬県西部の山あいの地に生まれた。裏山には秘密基地を作り、近くの小川には沢蟹や蛍がいる自然豊かな環境で育った。現職の専門である化学とはおよそ縁遠い家庭であったが、両親は子どもの「なぜ?」に寛容で、興味をもった科学実験教室に連れて行ってもらっていた。子供心に芽生えた知的好奇心の探求が、私の研究者としての原点なのかもしれない。
 三人兄妹の次男坊の性(さが)であろうか。地元の高校を卒業した後は県外に出たいとの思いで、北海道・札幌の大学を受験した。大学では有機化学を学びたいと考えていたが、入学後すぐに開講された教養講義で衝撃を受けた。そこには、美しい分子構造をもつ化学触媒の魅力を生き生きと楽しそうに語る教員の姿があった。この講義に感銘を受け、「私もこんな研究がしたい!」と早々に将来の道を決めてしまった。実際のところ、講義内容の一部は大学院レベルであったために当時の私にはほとんど理解できなかったわけだが、この時に経験した学生の心に響く講義は、大学教員となった今の私の目標となっている。
 卒業研究で師事した指導教員が他大学へ異動することを受け、博士後期課程からは京都へと移った。慣れ親しんだ北海道を離れ、限られた時間のなかで学位取得を目指して京都に向かう飛行機はまさに片道切符であった。将来への不安に苛まれながらも、実験だけが唯一の解と信じて、ひたすら実験台に向かった。幸いにも、二、三の新しい触媒反応を見つけることができ、多くの人の助けを得て学位を取得することができた。研究環境を変えることには大きなエネルギーが必要な分、その先には見たことのない景色が待っている。新たな地でいただいた出会いが、その後の人生を豊かにしてくれたと確信している。
 学位取得後は前職である北海道大学にてご縁をいただき、今度は大学教員となって札幌に戻った。分子デザインを基盤とする高性能有機合成触媒の開発をテーマに掲げ、母校の学生とともに研究に打ち込んだ。プレーヤーからマネージャーへと立場が変わることによる戸惑いや悩みは尽きないが、進むべき道を示してくれたのは上司であり、同僚であり、現場の学生であった。少ないながらの講義経験も通じて、今の自分は大学入学当初に描いた想いに近づけているのだろうか。
 そんな自問を続けながら羽田空港の滑走路に降り立つ時には、これまでお世話になった多くの人の顔が頭に浮かんでいた。いただいたご縁の上に自分がいることに改めて気付かされる。北の国から二度目の出発となる。新しい出会いを触媒にして、駒場での教育研究に邁進していく所存である。

(相関基礎科学/化学)

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