HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<駒場をあとに> コロナと共に、過ぎ去った日常

岩本通弥

 およそ一年前だったら、記憶に残った駒場の日常を語ったに違いない。授業の想い出や学生・院生たちのこと、研究室・部会や実習のこと、あるいは新任の時に振り当てられた学生委員と重なった駒場寮廃寮問題や、委員長だったことから任せられた八号館図書館を、各部局図書室とともに新営の駒場図書館に統合・移管した業務、さらには晩秋の、銀杏の実を踏み割る音の響きやそうした春夏秋冬の季節感などが、私の中に等分に並列していたように思われる。一九九五年に赴任して駒場で累積したそうした日々の生活の総和より、この一年で経験した新型コロナウィルスによってもたらされた「新しい日常」の方が、今の私の頭の中を隙間なく埋め尽くしてしまっている。それ以前の記憶を思い出そうとしても、コロナが大きく立ちはだかり、うまく想起できないでいるのだ。
 対面授業が禁じられ、急遽、馴れないオンライン授業に切り替わるときに覚えたIT弱者の鬱憂な不安感と、コロナそのものへの得も言われぬ恐怖心、その悪感情を振り払うように集中した、講義資料の準備に追われた日々の連続に、一年早く定年を迎えていたら、こんな苦労をせずとも済んだのにとか、わずか一年のために、何でこんな新しいIT操作を一から勉強しないとならないのかと(マニュアルを読んでも用語の意味がわからない)、そういった不平や焦りを胸のうちに固く深く押し込めながら、必死に、その作業に黙々と費やすだけの毎日が繰り返された。次の講義時間があっという間に迫ってきて、休む暇もなく、丸でジェットコースターにでも乗っているかような、体感スピードだけは異様に早い時間の経過感を味わいつつ、七月の学期末には疲労困憊は極限に達していた。
 もちろん同じ思いをしたのは、私だけではない。否、入学式も中止となり、登校も叶わなかった特に新入生は、オンラインの連続や課題レポートの多さから、より深刻な艱難辛苦に見舞われたことに同情を禁じ得ない。日本中が、世界中が同じ切迫感の下、異常な緊張感に囚われて、憔悴していたはずであったのに、どこにも出かけられない夏を越える頃となると、漸次、それに慣れ切ってゆく自分を含めた私たち=世間に、憤懣やるかたない鬱屈した苛立ちが沸々と込み上げてきたのは、何とも不思議な感覚だった。
 雑用のため、Aセメスターになると、月に二回ほど研究室に出向くとき、約一時間の通勤時間が、何ともじれったく、実に長く感じるようになっていた。在宅でラフな格好でも構わない、オンライン授業の便利さが心底染み込んでしまった身体には、もう対面授業のために出勤することは、それも満員電車の中に我が身を置くことなぞ、嫌悪感の方が先立ってしまっている。いやはや人間の環境への適応は、実におそろしい。
 私の専門とする民俗学は、「普通の人びと」の当たり前だとされる日常や、当然視されてゆく日常化のプロセスを問う学問に転換して、はや四半世紀以上経っている。「普通の人びと」の経験した、このコロナ禍のような出来事が、いかに日常化してゆくのかを、「小さな人びと」の立場から捉える学問に、「伝承」の科学から「伝達」を扱う科学へと変貌している。怪獣アマビエを追跡するだけが民俗学者の仕事ではない。
 チェルノブイリの原発事故によってドイツの日常が、どう変わったのか、その詳細が追究されて以来、「普通の人びと」もしくは例えば環境保護団体が、専門家などから発せられた情報の、何を摂り入れ、何を拒み、いかに自らの生活を変えていったのか、いかに運動に反映させたのか、マスメディアやSNS、口コミなどを介して、あるいはそれらを駆使して、どのように情報を得て、いかなる判断に及び、どんな文化的観念が表明され、利用・消費されてゆくのか、そうした「伝達」のプロセスを把捉する学問となっている。
 今回の日本の反応で特に興味深かったのは、当初専門家が否定したマスクの着用をめぐる諸現象であった。未だアメリカやドイツではマスクに関する反対のデモが起こるのに対し、私たち日本人は最初の頃、感染症の専門家がマスクをしても極小のウィルスには意味がないと繰り返したにも拘らず、ほとんどの者がそれをし続けてきた。途中から感染者の側が人に広げないための最大の予防策だと言い換えられたが、他人に迷惑を掛けてはならないとする規範意識からなのか、マスクをしていないと白眼視される世間の目を惧れての行為だったのか。両者を含んでいようが、いずれにせよ日本特有の迷惑規範が作用したことは容易に想像される。迷い戸惑うという原義を持つ迷惑が、時間の厳守とともに公共の規範に化けるのは、第一次世界大戦後の民力涵養運動・生活改善運動からである。
 駒場には二六年間お世話になった。いや最後の十年は病気の連続で、同僚には迷惑を掛け続けたというべきか。どうもありがとう。

(超域文化科学/歴史学)

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