HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<送る言葉> 岩本通弥先生を送る

箭内 匡

 民俗学と文化人類学を家族に擬えれば、子供の頃は一緒に仲良く遊んだけれど、成人してそれぞれが自分の道を進むうちに、いつしかすれ違いが生じてしまった兄弟に似ている。遠くからみると確かに兄弟なのだが、肌を接して付き合うとむしろズレが目立ってくる。
 とはいえ、このズレが特に目立ってきたのは比較的最近で、ちょうど岩本先生が駒場に着任された一九九〇年代のことかもしれない。民俗学と文化人類学は、記号論・象徴論が流行った一九八〇年代には世間の注目を浴びたが、冷戦終結からグローバル化へと進んだ一九九〇年代には共に深刻な学問的危機を経験した。文化人類学はもともと海外の研究者との交流が密だったため、特に英語圏の研究動向に大きな影響を受けるようになる。それとは対照的に、あくまでも日本をベースとする民俗学は、自らの学問的伝統を根底から見つめ直す中で再生を図ったように思われる。
 岩本先生のお仕事は、そうした民俗学の学問的再構築という作業に真正面から向き合い、そこから新地平を切り開く大きな作業であったように思われる。柳田國男を正しく読むというより、柳田のアクチュアリティーを新しい形で見定めつつ、そこから新しい民俗学を構想すること。先生はそれを「日常」についての徹底的な問いとして論じられ、そしてその問いを、文化人類学者のように一般的な理論的枠組に照らして考えるのではなく、歴史的観点から考えたり、韓国のケースと比較したり、つまり時間・空間的に隣り合わせのものとの対比の中で考察された。先生のお仕事で特に目につくのは、国内および海外(韓国・中国・ドイツなど)の多数の研究者との精力的な共同研究であり、その多大な成果は多くの編著書や学術雑誌『日常と文化』に見ることができる。もちろん岩本先生は優れた教育者でもあり、多くの学生が文化人類学コースで先生の指導を仰ぎ、そして研究者となって巣立っていった。
 それでも、文化人類学と民俗学の間のズレが存在する中で、色々とお悩みになりつつ個々の学生を指導されているご様子だった。正直なところ、私自身も岩本先生の良き理解者であったとは決して言えない。ある時、いつもの控えめなお口ぶりで、「分かってないなあ!」とため息をつくように私におっしゃったことが懐かしく思い出される。しかしそんな私も、最近になって、『遠野物語』の冒頭の一文を噛みしめる機会があった。「いかに印刷が容易なればとてこんな本を出版し自己の狭隘なる趣味をもって他人に強いんとするは無作法の仕業なりという人あらん。されどあえて答う。かかる話を聞きかかる処を見て来てこれを人に語りたがらざる者果してありや」。時代や場所を問わず、人間の暮らしには、我々を何か否応なしに語らせたり、行動させたりするような力が含まれている。民俗学がそうした力についての学問だとすれば、それは確かに現代の文化人類学にも深く通じていると思う。
 岩本先生のご健康とますますのご活躍をお祈りしつつ、以上を送る言葉とさせていただきます。

(超域文化科学/文化人類学)

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