HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<駒場をあとに> フランス語からイタリア語へ

池上俊一

 私が駒場に着任したのは一九九四年四月のことである。最初の頃は、事務職員の方々に学生と間違えられていたのに、次第にそういうこともなくなっていった。間違えられるということでは、十八歳で文科三類に入学してしばらくは、逆にひどく老けて見えたのか、駒場キャンパスで何度か教授に間違われた。とにかく、あっという間の二十七年間だった。
 東大に奉職する前には、横浜国立大学教育学部の歴史学教室に、四年間お世話になった。横国大ではもっぱら西洋史を教えていたが、駒場では主にフランス語を教えることになった。フランスに留学し、パリで学会報告なども何度かしてきたものの、フランス語を教えた経験のなかった私に、同僚となったさる先生から、フランス語をしっかり教えてもらわないと困る、駒場に来てからも研鑽を積んで必死で努力するように、と釘を刺された。そう、私の専門はヨーロッパ中世史だが、その専門領域での業績以上に、語学を教える能力が期待されていることが、その言葉の裏からひしひしと伝わってきた。
 実際、フランス語教室(後に部会と呼び名が変わる)には、恐ろしくフランス語の堪能な俊秀教師ばかりが、二十余名勢揃いしていた。専門も、ほぼ全員がフランス文学・語学・思想という「同質集団」で、やや異質なのは、美術史の三浦篤氏と私の二人のみであった。孤立と劣等感で、「こりゃ、えらいところに来てしまった」と臍をかんだが後の祭りで、頑張るしかなかった。
 もともと語学の勉強は嫌いではなかったので、クラス授業を受け持ちながら試行錯誤を繰り返し、良い授業になるよう懸命に努めた。学生のフランス語力がグングン上達するとやり甲斐を感じたし、学生たちは、本郷に進学したり卒業した後も、フランス語教師の私を覚えていてくれて、嬉しかった。いつしか私も、教養教育における外国語重視の牙城としての駒場に所属する者として、外国語諸部会の同僚たちの考え方に同調していった。どこから圧力があったのか知らないが、駒場でも外国語の犠牲の下に専門研究を優先する動きが何度かあり、学生が取るべき必修外国語の単位数は、大幅に減っていった。そしてそれと並行して、大学を包む空気は、文徳を失っていったように思う。
 こうして語学教師としての使命に目覚めた私には、早い時期から、ひとつの宿願が宿っていた。大好きなイタリアの研究を駒場でもできるようにしたい、そして駒場キャンパスをイタリア的ないし地中海的な、深い人文的叡智と、人の好い陽気さの溢れる空間としたい、という願いだ。そしてそのための重要な第一歩として、イタリア語を初修外国語に格上げしなくては、と考えた。イタリア語はずっと、第三外国語の一角を占めるにすぎなかったのだ。
 この計画は、幸い、フランス語部会にいらした、宮下志朗、工藤庸子、石井洋二郎、鈴木啓二の諸先生方の応援もあり、まず専任のイタリア語教員を採用するところから始まった。そして才気煥発、体は小さいが百人力の村松真理子先生を採用することができた。その後村松先生と宮下先生と私の三人、力を合わせて─フランス語部会の先生方、また英語部会の高田康成先生などの後押しもいただいて─なんとかイタリア語の初修外国語化実現に漕ぎ着けた。しかしけっしてスムーズに進んだわけではなかった。
 「草の根」からの制度変更・新組織設立運動の宿命なのか、学部長室への説明・陳情、夥しい書類作成、学生アンケート、駒場および本郷の各レベルの会議での承認...といったことで、何年もかかったし、他の外国語の先生方には、自分たちの既得権領域に新たにイタリア語が割り込むと見えたのか、私には不合理としか思えない理由で反対する人も多かった。それでも、二〇〇七年文科三類でのイタリア語の初修外国語化が成り、二年後文科一・二類に、二〇一二年には、理科にも開かれた。
 ところがいくら必要性を訴えても、三人目の専任教員がどうしても採れなかったので、フランス語の先生方には申し訳ないとは思ったが、今から数年前、やむなく私自身がイタリア語教員になった。そしてまた一から一生懸命イタリア語教師としての研鑽を積んでいるうちに、退職の時が来てしまった、という次第である。
 私の「宿願」との関連でもうひとつ付け加えると、イタリア語の初修外国語化が成った後、その前期課程での教育成果を後期課程にもつなげていく必要性を感じた。超域文化科学科、地域文化研究学科、総合社会科学科の三学科を統合して教養学科とする二〇一一年の改組を千載一遇の好機として、希望を出し、二年後「イタリア地中海研究コース」を地域文化研究分科内に新たに創ってもらうことができた。これはイタリア語の初修化ほど大変ではなかったが、それでも苦労は少なくなかった。
 ともあれ、私の宿願の足場となる体制を実現させてくれたのは、駒場の懐の深さゆえだろうと、いろいろあった心の中の蟠りも解けて、今では感謝の気持ちで一杯である。
 フランス語・イタリア語部会の先生方をはじめ、お世話になった先生方、また学生の皆さん、長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。皆さまのご健勝と駒場のさらなる発展を心よりお祈りしています。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

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