HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

私達の時間スケールでみえる「ガラス」を理解する

水野英如

 ガラスのコップ、プラスティックのペットボトル、道路のアスファルトと、私達の生活においてガラスは欠かせないものです。「ガラスは固体か?液体か?」という問いをよく耳にします。これに対して、「ガラスは粘度が極端に大きい液体」と回答できます。熱力学にあてはめると、ガラスは平衡状態には無く、平衡状態に向かって物凄くゆっくりと緩和している状態と言えます。この緩和は途方も無く長い時間スケールで起こっており、例えば、世の中には1億年前の琥珀といったガラスが存在します。ここまでくると、「最終的には平衡状態のガラスに緩和するのか?」という疑問が浮かびます。
 しかしながら、私達の生活において、私達の時間スケール(例えば、秒、分、時間のオーダー)でみえる「ガラス」は、明らかに剛性がある固まったものです。「途方も無い時間スケールでみえるガラス」や「平衡状態のガラス」よりも、私達の時間スケールでみえる「ガラス」を理解する方が、私達の生活にとっては実用的で有益かもしれません。そこで、時間スケールを私達の時間スケールに限定しましょう。そうすると、ガラスを「擬似的な平衡状態」とみなして、熱力学・統計力学を適用できるわけですが、そのガラスは「固体」とみてよいでしょうか。
 ここで、固体の話をします。真に平衡状態にある固体は、「結晶」です。そのため、物理学では固体というと通常は結晶を指します。結晶では分子は規則的・周期的に配置し、そのまわりを振動します。結晶の物性を記述するには、まず、分子の振動が小さいという「調和近似」を課して、理論を構築します。この近似は温度が小さい領域で正しくなります。そして、温度を上げて振動が大きくなる効果を「非調和性」として扱い、調和近似の理論を補正します。結晶の物性、例えば熱容量や熱伝導率は、この調和近似から始める方法によって説明できます。
 では、結晶で上手くいった方法をガラスに適用してみましょう。ガラスでは分子は不規則な状態で配置しています。したがって、分子が不規則な配置のまわりを振動すると想定します。そして、振動が小さいとする調和近似の理論を構築し、非調和性によって補正します。こうしてできた理論は、ガラスの物性を説明するでしょうか。残念ながら、「いいえ」です。結晶で上手くいった方法は、ガラスには通用しないのです。一体、ガラスでは何が起こっているのでしょうか。
 この問題を解決すべく、「分子シミュレーション」を用いて、ガラスの分子振動を解析しました(図)。その結果、ガラスでは分子の振動に加えて、分子の「再配置」が絶えず発生することが分かりました。結晶の常識に反して、ガラスでは分子は一つの配置のまわりを振動するのではなく、配置を時々刻々と変えながら振動することが分かったのです。このことから、配置の変化を想定しない調和近似ベースの理論が、ガラスに通用しなかったことが納得できます。
 再配置は空間的に局在化しており、一回の再配置では僅かに十から千個の分子がせいぜい分子径程度、動くのみです。物質はモル(10の23乗個)の分子から成るので、再配置は微視的な現象と言えます。また、分子は再配置を繰り返しますが、液体の流動のように不可逆的に遠方に拡散することはなく、あくまでも拘束された空間内を可逆的に動きます。したがって、再配置は、液体の流動とも固体の振動とも異なり、これら二つの中間的な運動と捉えることができます。この意味において、「ガラスは固体と液体の中間的な状態」と言えるでしょう。
 さらに、再配置は僅かでも熱(温度)を与えると発生することが分かりました。再配置を微視的な破壊現象とみると、ガラスはほんの僅かな刺激によって壊れる固体、あるいはギリギリ安定性を保っている固体、と捉えることができます。この「限界安定性」は、ガラスの形成過程で生まれると考えられます。液体を冷却していくと不安定性がどんどん解消されていき、ついに安定性を得たタイミングで固化の過程が止まり、ガラスが形成されます。こうしてできたガラスは、不安定と安定のちょうど境界上に位置する状態、つまり限界安定な状態にあると考えることができるわけです。
 以上をまとめると、「ガラスは限界安定性を有した、固体と液体の中間状態」と言えます。鍵となる点は限界安定性であり、そして限界安定性はガラスの形成過程に起因します。したがって、真にガラスを理解するには、ガラスの形成機構を理解しなければいけません。「どのようにして液体はガラスとして固まるのか?」を理解する必要があります。実はこのシンプルな問いこそが「ガラス転移」の問題であり、物理学における未解決問題の一つです。ガラス転移の機構が分かったとき、ガラスの本当の理解が得られます。さらには、途方も無い時間スケールの緩和の先にある(と信じられている)「平衡状態のガラス」の正体が掴めるのかもしれません。

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分子シミュレーションを用いて、ガラスの分子振動を解析した。

(相関基礎科学/物理)



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