HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<駒場をあとに> a land of milk and honey

寺澤 盾

image9_1.jpg 私が駒場に助教授として赴任したのは一九九二年四月ですので、三十年近く自然豊かなキャンパスに通ったことになります。一九九〇年代初頭といえば、いわゆる大学院重点化(学部を基礎とした組織から大学院を基礎とした組織への変更)が始まったころであり、教養学部も一九九三年四月からの組織改編に向けて大きな変動期を迎えようとしているときでした。さらに、駒場では大学院重点化とセットで前期課程教育の改革も求められ、私が所属した英語教室(現在の英語部会)でも大幅なカリキュラム改革がまさに始まろうとしていた時期でした(統一教科書による英語授業、いわゆる英語Ⅰが始まったのも一九九三年四月からです)。前任校は都下の国立大学でしたが、少なくともその当時は(よく同僚とテニスをするなど)牧歌的な雰囲気であったので、異動早々こうした改革の嵐に遭遇し少なからぬショックを受けたことを記憶しています。また、かつて駒場で教えていた父(英語)と叔父(物理)からも駒場の様子を聞いており、教員がそれぞれのペースで自由にゆったり研究している印象を持っていたので、なおさら「話が違うじゃない」という気持ちにもなりました。余談になりますが、当時の外国語教員の研究室は9号館にあり、教員数に対して部屋が足りないため二人一部屋が普通であったと思います。私も別の英語の先生と研究室をご一緒させていただきました。ただ、なぜかその部屋には電話回線が引かれていなかったので設置をお願いしたところ、すぐに対応してくださったのですが、電話番号が別の(それも大学院時代にお世話になった先生の)研究室と共通であり、電話がかかってくるとしばしば元指導教員のお部屋まで駆けていき「お電話です」とお伝えしたのが懐かしく思い出されます。大学院重点化で新設された専攻では、学内におけるインターネット回線のことが話題となっていましたので、「インターネットよりもまずは電話でしょ」と心の中で思ったものでした。
 このように駒場における最初の数年は、正直なところ私にとって必ずしも居心地がよいとは言えないものでした。それにも関わらず、その後四半世紀あまりにわたり駒場で過ごすことになったのは、何よりも素晴らしい人的環境があったからであると思います。それぞれの分野の第一人者の先生方に囲まれて知的刺激に事欠くことはありませんでした。また、大学の行政に関して重責を担われていながらも非常にプロダクティヴに研究成果を発表されている同僚の先生方の様子からプロフェッショナルの真髄を拝見できたことも(それに見習えたかどうかは別にして)得難い経験となりました。さらに、私自身も大学行政上のお仕事をいくつかさせていただきましたが、一を言えば十をしてくださる職員・嘱託の方々に大いに助けていただきました。
 駒場はいわゆる三層構造をなしていますが、それぞれのレヴェルでさまざまな授業を担当したことも私にとって大きな財産となりました。ジュニア(一、二年生)では、英語一列や英語中級などを担当しましたが、英語Ⅰの統一テクストであるThe Uni­verse of Englishや『教養英語読本』などからは、私自身も学生と一緒に「17世紀のオランダ絵画」、「知覚の歪み」、「人工知能とチューリング・テスト」、「古代都市ポンペイ発掘」など文理にまたがる興味深いテーマを学ぶことができました。シニア(三、四年生)では専門である英語史・中世英語英文学だけでなく、中国語や日本語を専門とする先生方と一緒に「言語の変化・変異論」という授業を講じたり、AIKOMでジェンダーをテーマにした授業を担当したりして視野を広げることができました。大学院の学生には『ベーオウルフ』などの中世英詩を精読する苦行に付き合っていただきましたが、総合文化研究科は専攻間の垣根が低いので他専攻からの受講者も少なからずあり、そうした多様な学生が参加する授業から多くのインスピレーションをいただきました。研究はもちろん研究室や書斎にこもって一人で行うこともできますが、三十年近く教壇に立って感じるのは、(とりわけ駒場のように多様で優秀な学生が集まる環境では)教員と学生が集う教室という空間は思ってもみない化学反応を生み出す場であるということです。
 駒場にいらしてまだ間もない若い先生方のなかには、おそらく三十年前と変わらない(あるいはそれ以上の)忙しさを前に、かつての私のように戸惑いを感じていらっしゃる方もいるかと思います。しかし、そうした憂慮があったとしても、駒場という環境はそれを補って余りあるものを与えてくれる豊穣の地(a land of milk and honey)であると、私は今確信を持って申し上げることができます。
 定年を待たずに駒場を去ることになりましたが、新たな職場への通勤の際は駒場東大前駅を通ることになるかと思います。車窓から今後の駒場のさらなる発展を見守りたいと存じます。長年にわたる皆さまからのご厚情に感謝しつつ。

(言語情報科学/英語)

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