HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報625号(2021年2月 1日)

教養学部報

第625号 外部公開

<送る言葉> 紳士=真摯なる学究の徒

大石和欣

 そのeメールはまさに「青天の霹靂」だった。英語で言えば"out of the blue"になる。そういえばなぜ英語も日本語(中国・南宋の詩由来)も同じ表現なのだろう。驚きのあまり言葉が出ないというなら、"stunned"あるいは"astounded"も使える。だが、"stun"と"stoun"と近似した発音が含まれているのは、同語源だからなのだろうか。
 eメールの差出人が、英語史の権威である寺澤盾先生だったので、驚きつつもそんな英語の不思議に頭を捻ってしまった。連絡の内容が今年度末で東京大学を辞職するというものだったので、仰天するのも当然である。前期課程では英語部会、後期課程・大学院は言語情報科学専攻と所属を同じくし、英語部会では寺澤先生が主任を務められたときに補佐として二年間、主任室に机を並べて苦楽を共にした仲である(もちろんそもそも「楽」はゼロに等しく、主任のほうが圧倒的に「苦」の比重が高かったが)。部会主任の重責を終えられた後、切望されていたサバティカルを取られることなく、副教務委員長、教務委員長とさらに四年間教養学部の重責を担われてきた。とりわけコロナ対策に翻弄されることになったこの一年間、私が副学部長として前期課程の運営に関わる際にも寺澤先生の知見と判断を頼りにしていた。その先生が駒場を去るという事態はまったく思いもよらないことであった。
 端正な容姿に温厚かつ誠実なお人柄が融和している寺澤先生には、自然と周囲から信頼や相談が寄せられる。常に冷静かつ親身に対応し、柔和な態度で接して下さる先生は、理想の同僚あるいは先生として崇敬の念を喚起する。実際先生を敬愛する学生ファンは多い。一言で言えば「紳士(gentleman)」なのだ。
 しかしながら、寺澤先生の"gentle"な物腰の背後には、堅牢な意志と厳格な信念が潜んでいることも見逃してはならない。古英語を中心とした英詩の韻律や英語史、とりわけ社会言語学や語用論を含む幅広い射程で英語の変遷を辿っていくのが、寺澤先生の研究である。一つ一つの言葉の歴史的・社会的布置を丹念に解きほぐしていく作業はもちろん、膨大な量の一次資料・二次資料のデータを分析していく作業は骨の折れるものだが、寺澤先生は真正面から信念を持って正攻法で取り組んでいく。授業では持参した分厚い手書きのノートを手に、博学な知識を披露する。海外でも知名度が高い一方で、『英語の歴史―過去から未来への物語』(中公新書、二〇〇八年)、『英単語の世界―多義語と意味変化から見る』(中公新書、二〇一六年)などを通して日本の一般読者にも、実直な語り口で斬新な英語史の世界を提示している。研究対象に対しても、研究アプローチそのものに対しても、そして学生や同僚、一般読者にに対しても「真摯」なのである。そう、寺澤先生は「紳士」かつ「真摯」な学究者なのである。
 教養学部に入学した最初の授業でご尊父である故寺澤芳雄先生の教えを受けた私としては、寺澤先生(家)のいない駒場は想像できず寂しい限りであるが、今後は愛するご家族との時間を増やしながら、新天地でのご活躍をお祈り申し上げたい。

(言語情報科学/英語)

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