HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報626号(2021年4月 1日)

教養学部報

第626号 外部公開

<本の棚> 鶴見太郎 著 『イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国』

川喜田敦子

 一九四八年のイスラエルの建国といえば、その引き金になったのは、ナチ・ドイツによる体制犯罪としてのユダヤ人の大量殺害(「ホロコースト」)と説明されることが多いだろう。ホロコーストは人類の歴史を考える上で避けて通ることのできないテーマとしてある。
 それに対して、『ロシア・シオニズムの想像力 ユダヤ人・帝国・パレスチナ』(東京大学出版会、二〇一二)で「ロシア・シオニズム」の思想に注目し、シオニズムの歴史的展開におけるロシア帝国という場の重要性を描き出した著者が、ユダヤ人国家成立の前提として本書で重視するのは、かつて世界のユダヤ人口の約半数を擁したロシア帝国を舞台として、一九世紀末以降にユダヤ人のあいだで生じた変化である。ホロコーストそのものは、このプロセスの「最終局面にすぎない」と本書は述べる。
 一九世紀末以降のロシアでユダヤ人のあり方はいったいどう変わっていったのか。この問いの答えに、本書は、個々人がその内面において自己と他者の境界をどのように捉えるかという観点から迫ろうとする。ひとりの人間のなかで、「ロシア」と「ユダヤ」という二つの側面がいかに併存し、融合し、不協和音を奏で、矛盾し、また相補いあうか。民族運動を「諸個人の集合的現象」として取り扱うのではなく、あくまでも個人のなかにある複数の側面の関係性からとらえようとする点が本書の特徴である。
 本書では、序章で問題意識が提示されたのち、第一章で議論の前提として、個人のなかの諸側面の関係性の類型と規定要因が整理され、続く第二章では、一九世紀後半以降に、ロシア帝国のユダヤ・マイノリティを取り巻いた思想的、社会経済的、政治的変化が説明される。そのうえで、第三章から第六章では、ロシアとのつながりを肯定的に捉えたリベラリスト、シオニストでありながらロシア・ナショナリストでもあった「ロシア・シオニズム」の潮流、ロシア革命後の凄惨なポグロムの経験を経て、ユダヤ人としてのアイデンティティと武装による自衛への志向を強めていった修正主義シオニスト、パレスチナや世界のユダヤ人とのネットワークを意識しつつ、遠隔地のユダヤ人として独自の役割を果たそうとしたシベリア・極東のシオニストらに、順に光が当てられていく。ヴィナベル、パスマニク、シェヒトマン、カウフマンなど、本書で描かれる個々の人物の姿を通して見えてくるのは、ひとつは、ロシア帝国の個々のユダヤ人にそれぞれの自己認識と戦略が存在していたという同時代のなかの多様性であり、もうひとつは、ユダヤ人がロシアとつながるための枠組であったロシア帝国が崩壊したことにより、「ユダヤ民族という単位の凝集性」が加速したという大きな時代のうねりである。
 そのうえで、終章では、シオニストが──修正主義シオニストであれ、極東シオニストであれ──結果的にはいずれも「民族」という概念に沿って自集団と他集団を明確化していったことが指摘される。ここでは、ジャボティンスキーの人種主義への傾倒、シェヒトマンによる「住民交換」の発想への肯定的評価に言及がある。シェヒトマンが一九四〇年代に肯定的に評した「ハイム・インス・ライヒ」政策(東欧・ソ連圏の民族ドイツ人のドイツへの帰還を呼びかけるナチ・ドイツの政策)が、ドイツ人以外の他民族の追放政策と表裏一体であり、最終的にはホロコーストへと急進化していったことを考えるとき、その歴史を知る私たちは言葉にできないやるせなさを感じざるをえない。未曾有の被害を生んだ二〇世紀ヨーロッパの人種主義とナショナリズムの急進化の流れのなかに、ユダヤ人のシオニストもまた、まぎれもなく客体ではなく主体として存在していたといえるだろう。
 冷戦下、第二次世界大戦後のヨーロッパで民族問題が沈静化をみせたのは、ユダヤという構成要素を大きく失ったこと、そして東欧・ソ連圏における大規模な住民移動を経たことと無関係ではない。その一方で、ヨーロッパで民族問題の混迷を招いた「民族」への志向と、そこから生まれた異なる民族どうしの分離を求める論理はパレスチナに持ち込まれ、イスラエルの建国を支える精神性となったという本書の議論からは、ヨーロッパの歴史と今日まで続くパレスチナ問題の見過ごせない歴史的連関が浮かび上がってくる。

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(講談社選書メチエ、二〇二〇年)
 講談社提供

(地域文化研究/ドイツ語)

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