HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報627号(2021年5月 7日)

教養学部報

第627号 外部公開

ウイルスは悪者?

市橋伯一

 私は教養学部でアドバンスド理科の授業をしている市橋伯一と申します。研究としては、生命システムを作って試験管内で進化させたりしております。皆様、コロナコロナで疲れていらっしゃるかと思いますので、ひとつ気を紛らわせられるかもしれない話題を提供してみたいと思います。
 生物の世界は他の生物に依存して生きているもの、いわゆる寄生体に溢れています。コロナウイルスもまさにその一味で、私たちの細胞に感染し細胞内の装置に依存して増えています。このような寄生とは自然界ではありふれた生き方です。どんな生物にもウイルスがいると言われていますし、たいていの大型生物には寄生虫がいます。なんだったら私たち動物だって光合成生物が作ってくれた栄養に依存して生きている寄生体です。こうした寄生体は当然のことながら宿主にとっては迷惑な存在です。ウイルスに感染した細胞は普通死んでしまいますので、もしコロナウイルスに感染するといろいろな悪影響が出ることになります。それを防ぐためにみんなで感染抑制を頑張っているわけです。ウイルスなんていなければいいのに、と思います。では、ウイルスをはじめとする寄生体がこの世から一切いなくなったらどうなるのでしょうか? 宿主となる生物にとっては夢のようですが、果たしていいことばかりでしょうか? この答えを自然界で得ることはできません。寄生体は世界中に溢れていて、取り除くことなんてできません。しかし、私たちが作っている生命を模した分子システムを使えばそのような実験が可能です。ここで寄生体が宿主の進化に与える影響を調べた私たちの最新の実験結果を紹介してみたいと思います。
 最近私たちは、RNAという化学物質がまるで生き物のように複製する化学反応系をつくりました。複製の際にはRNAの配列に突然変異も入るので、RNAに多様性が生まれて、その中で最も速く増えるものが最もコピーをたくさん残すことで、いわゆる自然選択が起こります。そのうち有益な変異をもつRNAが増えていって、まるで生物のように進化することになります。興味深いことに、こうしてRNAを複製させているとすぐにそのRNAに寄生して増える寄生型のRNAが自然発生しました。この寄生型のRNAは自分だけでは複製できないのですが、宿主となる別のRNAが作り出す物質(複製酵素)に依存して増えることができます。そして複製酵素を作るコストがないので圧倒的に速く増えることができます。こうした寄生体はRNA濃度が高くなったときだけに出現します。つまりRNA濃度さえ上げなければ寄生体は出現しません。したがって、寄生体を出現させたときとさせない条件のそれぞれでRNAを進化させてみることができます。さて、RNAの進化はどのように違うのでしょうか?image627_01_1.png
 まず寄生体がいない時です。複製を続けるにつれて次第に速く増えるRNAが出現していきました。ただその上がり方はだんだん小さくなり、すぐに複製速度はほぼ一定になりました。つまり進化はすぐに止まってしまうということです。最終的なRNAの集団はほぼ一種類で占められており、多様性も生まれてきませんでした。RNAは進化の袋小路に入ってしまったかのようです。これに対し、寄生体がいる環境で複製を続けた場合には全く様子が違いました。まず、進化は止まらなくなりました。速く増えるRNAや寄生体に対して耐性のあるRNAなど様々な性質を持ったRNAが次から次へと出現しました。この実験は現在も続けていて、今や寄生体がないときの十倍の時間は複製を続けていますが、新しい性質を持ったRNAの進化が止まる気配はありません。このような持続的な進化がおこるのは、おそらく宿主と寄生体の共進化によると考えられます。つまり宿主側が寄生体に対して耐性を進化させ、それに対抗して寄生体側も進化して、という軍拡競争を続けていくため、進化に(いまのところ)際限がなくなっているようです。さらに多様性も生まれています。寄生体は大きさの異なる二種類に分化しました。そして宿主側もそれぞれの寄生体に対して耐性の二種類の系統が生まれています。寄生体の存在によりRNAの進化の様相はずいぶん変わり、共進化や多様性といったまるで自然界の生物を見ているかのような現象が起きるようになりました。
 さらにもう一つ予想していなかったことが起きました。寄生体との共進化したあとの宿主RNAを良く調べてみると、寄生体に対して耐性を持っているだけではなく、たとえ寄生体がいない環境でもやたらと速く増えるようになったものがいました。不思議なことにこのRNAは、寄生体がいない条件で同じくらいの時間だけ進化したRNAよりも速く増えることができるのです。つまり寄生体との共進化を経験することによって、寄生体がいないときにはたどり着けなかった境地にたどり着けたようです。まるで映画ベスト・キッドのように、ずっと空手の練習をするよりも掃除やペンキ塗りをしていたほうが強くなったような感じです。この結果はたまたまかもしれませんし、生命システムの重要な性質を反映しているのかもしれません。ともかく私たちの実験から見えてきたことは、寄生体がいることによって宿主の進化にも良い影響がありうるということです。言い換えると寄生体は宿主の進化を助けている側面があるとも見ることができます。
 さてコロナウイルスの話に戻ります。私たちの実験はRNAという単純な化学物質を使った結果で、人間とコロナの関係とはもちろん違います。ただどちらも進化する自己複製体の一員であることは間違いありません。仮に私たちの見つけた現象が他の生命システムにも成り立つとすると、コロナウイルスの流行を経験した人類はコロナがなかった時にはたどり着けない素晴らしい未来にたどり着けるかもしれません。まあ、そうでも思わないとやってられませんよね。

(生命環境科学系/先進科学)

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