HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報627号(2021年5月 7日)

教養学部報

第627号 外部公開

〈後期課程案内〉文学部 自由意志をもって、ゆっくり急げ

人文社会系研究科長・文学部長 秋山 聰

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/

 文学部に二十七もある専修課程は、研究室とも呼ばれ、文学部の教育・研究の基本単位を形成しています。多くの大学では区別されない国語学と国文学、インド哲学仏教学とインド語インド文学、美学芸術学と美術史学などが別々の専修課程となっているのに加えて、イスラム学や南欧語南欧文学、西洋古典学、現代文芸論など国内では比較的珍しい研究室もあります。また、大学院人文社会系研究科にも上記の専門分野に加えて、独立専攻として文化資源学研究専攻と韓国朝鮮文化研究専攻という珍しい研究室があり、積極的に学部教育にも携わっています。さらに、21世紀COEおよびG─COEの研究拠点を淵源とする死生学・応用倫理センターでは、文学部が他に先駆けて展開し、高く評価されてきた人文学と臨床的実践とを繋ぐ「死生学」と、科学技術の飛躍的発展により世の需要が増大してきた生命倫理や情報倫理等を包含した「応用倫理」の専門家によるさまざまな教育活動が展開されており、多くの授業が全学の学部生にも開かれています。このような、文学部としては他に類をみない豊富なカリキュラムをより有効に活用し、高度な人文的教養を供えた若手人材として社会に巣立てるように、二〇一六年度からは一学科制(人文学科)が導入されました。二年間の学部での勉学において、自らが選んだ一つの専門の基礎的技能をしっかり身に付けるとともに、人文諸分野を広く知った上で、社会や学界において(主流であれ、反主流であれ)大いに活躍して欲しいと思います。
 文学部では、何よりも言葉を大切にしています。研究の対象は言語だけではなくさまざまな事物や現象であったりしますが、研究の成果は言葉により発表しなければなりません。多くの専修課程では卒業要件に卒業論文を課しており、およそ四万字を標準とする論文の作成は、それなりに大変な作業となるでしょう。しかし、自ら課題を見出し、対象となる各種資料を健全に批判、検証し、研究史を踏まえた上で、独自の考察を自分の言葉で書き記すという行為を経験することは決して無駄にはなりません。文章を書くのが苦手だと思っていたのに、卒業後、所属する組織において書類作成の際に頼られる存在となり、自身驚いた、などという卒業生の話は珍しくありません。論文の執筆とともに、自ら学び考えたことの意義や面白さを人々に平易に説明できるようになることも大切です。採用面接、あるいは企画書や研究計画書執筆の際にも重要となるでしょう。ともすると人文不要論が頭をもたげがちな昨今の状況の中で、文学部で学んだ後のみなさんが、人文学の面白さや意義を将来、社会に広く浸透させていくことも、期待されています。
 ところで、文学部の授業の大半は「演習」と「特殊講義」から構成されています。演習はどの専修課程でも6タームから8ターム、最低一つは履修するように定められていますが、原則として少人数によるもので、学生同士はもとより教員との密な議論を前提とし、専門的技能を身に付けるためのものです。特殊講義は、文字通り「特殊」な講義であり、専ら各教員の専門領域の最先端の成果が反映されたものであり、多くは概説や通史を意図したものではありません。これは、東大生ならば、概説書や教科書的な書物は既に読んでいるはずだ、という確信(ないし思い込み)を前提としているからです。自ら選択した講義や演習から学んだものを組み合わせ、独自の図を作り上げることが学生諸君に期待されているのです。
 こうした文学部のあり方は、ルネサンス期のいわゆる自己成型論を想起させなくもありません。イタリアの人文主義者ジョヴァンニ・ピーコ・デラ・ミランドラはその著『人間の尊厳について』の中で、一種の喩え話として、神がすべての生き物に順次贈物を与えていた際に、最後になった人間には与えるものが残っておらず、神に近い高次の存在にも獣のような低次の存在にもなりうるという「自由意志」を与えたと述べています。これに似て、文学部での勉学の結果、みなさんがなにものになるかは、みなさんの「(勉学)意志」次第と言えるでしょう。低空飛行で卒業することもそれほど難しくないかもしれませんが、ありとあらゆる事象について考察する手がかりが随所に転がっているので「より高次の存在」となることも可能なのです。四十年近く前、入学式での総長による「回り道を恐れるな」という訓示は今もまだ耳に残っており、当時は多分にまだ素直だったらしく、教員になるまでの十五年間を学生として過ごした私にとって、こうした文学部・人文社会系研究科は居心地の良い環境でした。しかし、今、部局長となり果ててしまった身として、流石に留年を広く勧めるわけにはいかないようです。そこで、代わりに「ゆっくり急げfestina lente」という禅の公案のようでいて、実は西洋古代起源で、アウグストゥスやエラスムス、ゲーテ等が好んだモットーを掲げて、本稿を終えたいと思います。

(文学部長/美術史学)

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