HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報628号(2021年6月 1日)

教養学部報

第628号 外部公開

<時に沿って> 心地よく迷走する

藤崎 衛

 この四月に地域文化研究専攻に准教授として着任しました。専門は西洋中世史で、特に中世の教会史そしてローマ教皇に関する制度や政治、文化について研究しています。歴史学者と称してよいのでしょうが、それなりに歴史に関心があったとはいえ、歴史マニアとは程遠い人物でした。そのため、史学科というところに所属していた前任校では、歴史好きの学生たちが少なからずいる中で少々ばつの悪い思いを抱いていたほどです。もっとも、今となっては歴史研究の面白さは十分に承知しているので、学生たちにその魅力を伝えたいと日々、奮闘を続けています。上述のとおり専門分野は西洋中世史なのですが、なぜそこにたどりついたのか、自分を振り返ってみます。
 ひとつには、私自身が「他なる」ものに惹かれているからかもしれません。現在とは違う時代、行ったことも見たこともない場所、触れたことのない文化、そうしたものに引き寄せられているのでしょう。しかし一方で、「他なる」ものこそ自分に馴染むものであったという思いもあります。実際、幼いころに亡くした母は熱心なカトリックで、私は、信仰心はないものの幼児洗礼を受けています。つまり生まれたときから、「他なるもの」がそばにあった、そう思うのです。
 やがて西洋中世の研究を志した私は、過去が封じられた史料に触れ、スイスやイタリアといった異郷へ留学し、さらに学際的な共同研究であるグローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」に参加することで、「他なるものへ」接近しつつも、人間や社会が普遍性を有していることにも気づかされました。
 だからこそ、ついついはみだした研究テーマに関心が行ってしまうのでしょうか。実際、卒業論文では中世の異端を扱いました(しかし、異端を理解するには正統の方こそ理解しなければならないということで教皇権の研究に足を踏み入れたのです)。博士論文は教皇庁の制度研究でしたが、相前後して手を伸ばした研究対象は、やはり周縁にあるもの、たとえば中世のユダヤ人迫害や女教皇の伝説で、最近はヨーロッパから見た異郷であるアジアへの宣教活動に関する調査を続けています。このように、私の関心はどうしてもメインストリームを離れた周縁に向かいがちで、博士論文こそ堅い制度研究にとどめましたが、それ以外ではつねにどこかずれた方角に向かって迷走している気がします。しかも残念ながら軌道修正するような器用さは持ちあわせていません。
 ならばこの先も迷走そのものを楽しむほかなさそうです。まだ駒場に来たばかりとはいえ、周りを見ると教員の中にも学生の中にもどうやら私以上に迷走している人が多数いる模様。ここなら私も安心して迷走を続けられるでしょう。それに学際性に富んだ駒場は他流試合の本場です。実は、赴任するにあたっては何人もの知り合いから駒場の自由すぎるところや捉えどころのなさを心配されました。しかし、私にとって駒場はきっと心地よくのびのびと迷走できる場所に違いない、そう楽しみにしています。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

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