HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報628号(2021年6月 1日)

教養学部報

第628号 外部公開

<時に沿って> 閑話休題

中井 悠

 駒場に在籍した時間のほとんどを駒場以外ですごした。表象文化論でジョン・ケージという作曲家を研究するかたわら、芸術のオルタナティブ・スクール(四谷アートステュディウム)の運営に携わり、パフォーマンスを制作しながら、造形作家の岡﨑乾二郎と振付家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションに参加し、プロジェクト用に開発されたロボットの操縦士としてダンス・カンパニーと一緒にアメリカやヨーロッパをツアーした。
 七〇年代のダンス作品の再制作に関わったことで、関連資料があるロサンゼルスのゲッティー・センターを訪れたが、その資料は到着したばかりで閲覧できなかった。アーカイブを探ると、デーヴィッド・チュードアという名が目に止まった。チュードアはケージと活動を共にしたピアニストであり、電子音楽のパイオニアとしても多方面に影響を与えたが、自分の音楽について何も語らなかったため謎に包まれた人物だった。資料をリクエストしたら、その膨大な量に驚いた。すべてに目を通した人はまだいないということだった。だから自分がそれをしようと決めた。翌年駒場を去り、アメリカに移った。日本に戻るつもりはなかった。
 それから十年間、ニューヨークを拠点に制作と研究に明け暮れた。作品は狭義の音楽からダンスや演劇と呼ばれる形態に移り変わっていった。トリシャがよく発表をしていたジャドソン・チャーチや、ケージとチュードアが訪れていたブラック・マウンテン・カレッジでも公演をした。研究をアリバイに制作をすればするほどチュードアの考え方がわかる気がした。彼は自分のやったことを言葉で説明しなかったが、代わりに自作の電子楽器と回路図を残した。だから楽器を開けては内部回路を書き出し、資料とマッチングする作業に取りかかった。根気よくやると、パズルピースのようにそれらが組み合わさることが判明した。
 博士号を取ってからサンディエゴで六歳の息子と二人で暮らした。毎日子どもを学校に送ったあと、近くにあった全米有数のヒッピー・ビーチでまどろみながら本を書くことに没頭した。夕方迎えに行くと「どのくらい進んだ?」と編集者のような質問をしてくる小学一年生に内容を説明し、彼の理解に応じて文章を直した。そのことで文体がすっかり変わってしまった。パフォーマンスを作らなくなったが、本の執筆が長いパフォーマンスのように思えてきた。二年経ったころトランプ政権の悪どい移民政策のせいでビザが更新できなくなった。同じころ、友人に貸していたニューヨークのアパートに住んでいないことがバレて退去を命じられた。八方塞がりのなか、帰国することを考えはじめた。ちょうど本も完成したところだった。
 日本語ができない子どもを近くの公立小学校に通わせたところ、すぐに馴染んだ。京都市立芸大に就職が決まり、関西に引っ越すと言ったら子どもが泣いたので、東京から通うことにした。そんなとき、東大に新しいアートセンターができたので、大学院で理論系の授業を担当しつつ、制作系の授業を教えないかという誘いを受けた。まったく予想していなかったことだった。
 制作と研究と子育てに明け暮れるなかで、すべてに共通する傾向がわかってきた。何事も思ったとおりにはいかないが、そのかわり何かをやれば予想していなかったことが必ず起こる。そしてそのような副産物こそが次の展開を引き起こす。考えてみたら、これは修論で扱ったケージの「沈黙」─無音ではなく意図されていない音─の仕組みそのものだった。駒場を離れてからの時間で得たのは、それまで概念として弄んでいた事柄の、実経験に根ざした理解だったのかもしれない。二年前に執筆を終えた本は、三〇〇点以上用いた図版の著作権をクリアするために時間がかかり、ようやくこの三月にオックスフォード大学出版局から出版された。なんだか長い夏休みの宿題を仕上げて、学校に戻ってきたような不思議な感じがしている。

(超域文化科学)

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