HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報630号(2021年10月 1日)

教養学部報

第630号 外部公開

紫綬褒章受章に際して自分の研究に思うこと

長木誠司

 今年の春に紫綬褒章を受けることになりましたが、これもひとえに駒場の恵まれた研究環境があり、常に多分野にわたって大いなる刺激を与えてくれる優れた研究者の先生方、そしてなかなか手強く優秀な学生さんたちがいるからこそだと思っています。そもそも、学問上で辣腕をふるっている方たちばかりのなかでこうした受章をしてしまうことは気恥ずかしい限りなのですが、せっかくの機会ですので少し自分の研究について書いてみたいと思います。
 私の所属する超域文化科学表象文化論コースでは、思想・文学・芸術(サブカルチュアを含む)、ジェンダー等々、さまざまな研究分野を専門とする先生方がそれぞれの立場から「表象文化論」という、ある意味得体の知れないものにアプローチしているのですが、そのなかで私の本来の専門は音楽、それもいわゆる西洋「芸術」音楽とその受容を通しての日本の近代洋学という分野になります。もともとのディシプリンは「音楽学」というもので、これは人文学のなかでもかなりマイナーな分野だと思われてきたのではないでしょうか。
 音楽学が十九世紀に生まれたころは、その対象は当然西洋芸術音楽でしたし、その歴史的な研究や音楽そのものの原理的研究(音律などに関する物理的研究から、形式や法則に関する楽式論、そして音楽美に関する哲学的考察等々まで)が主でしたが、音楽という概念の多様化やメディアを通しての音楽が普及するに連れて、対象とするものも広がり(もちろん「芸術」音楽だけではありません)、研究方法も他のさまざまな分野を援用してなされるようになりました。
 音楽学が何を対象にし、どのような方法論でそれにアプローチするのかということは、一九八〇年代に「ニュー・ミュジコロジー」と呼ばれた、いまとなってはいささか古くなった射程のなかで多く議論され、それ以降しかしたしかに大きな変化は見て取れます。かつて音楽学というと、学者の間でもまず想像されるのが、楽譜を前にしてのアナリーゼのようなものか、あるいは作曲家の手稿やその楽譜の「透かし」をもとにしての作曲年代研究とか様式変化の研究とかでしたけれど、いまそうした作曲家/楽譜/作品路線で音楽学というものを第一義的にイメージするひとは音楽学者のなかにもいません。むしろ、他学問分野のさまざまなディシプリンを貪欲に採り入れながら、それと連動させて対象領域も拡散させていき、むしろ音楽概念自体を解体していくような運動が現在の音楽学にはあります。本来複数形では用いない"musics"ということばや"musicking"というような動名詞を使う研究者たちは、すでに具体的に音とは関わらない、音楽周辺領域を「音楽」のなかに含めていく研究もしていますし、「カルチュラル・スタディーズ」辺りに端を発する「~スタディーズ」の氾濫も音楽学のなかに生じています。
 「ヴォイス・スタディーズ」「サウンド・スタディーズ」などはまだ音楽と密接に関わるイメージはありますが、「ゲーム・スタディーズ」「デフ・スタディーズ」というような分野も聴覚文化との兼ね合いで音楽学のなかに取り込まれています。本来、音楽学とは一線を画すように(画すために)できあがってきたこれらの「スタディーズ」も、現在音楽学は取り込んでしまっており、もはや何をもって「音楽学」と呼べるのか訳の分からない状況でもあります。「音楽学」ではできない「音楽」へのアプローチという言い方が無意味になりつつあると言ってもいいかも知れません。私がかつて留学していたドイツのボン大学の「音楽学講座」は、現在では「音楽学、サウンド・スタディーズ」と名称を変えてしまっており、これなどは音楽研究が向かってきた方向を端的に示しているでしょう。
 そんななかで私の近年取り組んできた領域は、「オペラ・スタディーズ」というものの一部だろうと思っています。オペラなんて、実際に観たことのあるひとは、それこそ日本ではマイノリティかも知れませんが、ヨーロッパ社会が最高に贅をこらした「演劇」はオペラでしたし、パリでもウィーンでもロンドンでもベルリンでも、大都市の文化的中心に位置するのは決まって歌劇場でした。四百年の歴史を持ち、王侯貴族から西洋市民社会に受け継がれたこの放埒な無駄遣いの場で展開してきたジャンルは、いまや世界的規模で拡散しています。北京にも上海にもウラジオストックにも巨大な歌劇場が存在して象徴的な地位を得ている、そんな時代に、このジャンルがどのような芸術的、そして文化的・政治的・経済的な機能を持っているのか、それを検討するのがこのところ私のやってきていることです。
 一筋縄ではいかない研究ですが、それはどの分野も同じ、どの研究者にも共通することでしょう。私の場合、まず「フィールド・ワーク」が非常に重要です。フィールド・ワークと言っても、未開地を探訪したりサバンナを駆け回ったりというのではなくて、たいていは着飾った老若男女が一堂に会するあちこちの大都市の豪華な歌劇場でオペラを観るということなので、いつも遊んでいるように思われがちなのですが(それはたぶん、半分以上当たっている)、オペラだけではなく、もともと現代音楽全般を対象領域にしてきた私の場合、国の内外を問わず、年間三百回ほどのオペラや演奏会に足を運んでいるわけで、それはけっこうたいへんな「作業」ではあります。同時に研究書や論文を読んだり、自分の執筆を行ったりする時間をどこで取っていくか、教壇に立つ時間とどのように両立させるか、そうした時間との闘いが常にあるように思います。
 コロナ禍で演奏会は減り、オペラ上演もスタッフ内部に感染者が出るなどでキャンセルが続くようになりました。そのためこの「狂おしき」日々は現在開店休業状態ですが、一刻も早くまたもとの状態、いやそれはもう無理なのでしょうが、それに近い状態に世の中が戻ることを強く願っています。

(超域文化科学/ドイツ語)

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