HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報630号(2021年10月 1日)

教養学部報

第630号 外部公開

<本の棚> 今泉允聡 著 『深層学習の原理に迫る ─数学の挑戦』

福島孝治

人工知能、というより、Artificial Intelligence(AI、エーアイ)という言葉が日常生活でもたびたび見聞きするようになっている。研究の分野ではよく知られているように、このブームは第三次AIブームと呼ばれている。私の研究分野が少し関連していて、第二次AIブームとその後の冬の時代を知る者としては、今回のブームは眩い限りである。特に衝撃を受けたのは、二〇一六年のDeepMind社により開発されたアルファ碁の出現であった。このAIの基幹をなす技術が深層学習であり、現在では深層学習は誰もが使える技術になってきている。今年度のNHK杯囲碁トーナメントの中継ではAIのはじき出す勝率が対局中にリアルタイムで掲示されるようになった。
 ただし、AIそして深層学習は打出の小槌ではない。何でもその中に入れるとお望みの回答がでてくるわけではない。この技術をどのように活用するかは現代社会の課題と思える。自動車の自動運転や医療画像診断など既に研究が進んでいる分野はあるが、AIにはより広い範囲に影響を与えるポテンシャルがあると思われる。DeepMind社のDemis Hassabis氏はアルファ碁の開発直後のインタビューで、AI assisted scienceの可能性に言及している。科学分野の研究、特に大量のデータが得られる大規模実験のデータ解析にAIを活用することで、科学研究者の目には見えない現象や原理の発見をアシストできないかという考え方である。これも深層学習の一つの活用方法であり、実際に科学研究に応用される例もたくさん出てきている。このような深層学習の「活用」とは別の方向の研究として、深層学習の原理に迫る基礎研究も進められている。「なぜ深層学習は優れた性能を示すのか」の問いに答える研究である。
 本書は深層学習研究の第一人者である今泉允聡准教授によるものであり、この深層学習の基礎研究の現状を伝える熱い一冊である。まず、序章と二章で深層学習の背景と現状がコンパクトにまとめられている。そもそも「学習」が指すことは、日常用語とややズレがあるかもしれない。心を持たないコンピュータに計算させることがどのように「学習」に繋がるかを理解することが最初の一歩であり、そこへ優しく誘ってくれる。その上で、「深層学習の原理は未だに完全には理解されていない」と力強く宣言され、三章以降の核心に迫っていく。
 研究者が研究する背景には、解くべき本質的で面白い問いがある。本書では大きく三つの問いが設定されている。「なぜ深層が必要なのか?」、「なぜ多くのパラメータが必要なのか?」、そして、「なぜうまく学習できるのか?」である。この三つの問いは、伝統的な統計学での常識に立脚している。すなわち、多くの層は必要なく、三層で十分であり、パラメータが多いと過学習してしまうし、多すぎるパラメータは学習しきれないというわけである。これらの常識をことごとく覆したのが深層学習である。この様子がわかりやすく説明されていて、「問い」を正しく理解することで深層学習に対する驚きが「プロ棋士に勝った」よりも深く味わうことができる。もちろん、常識が間違っていたわけではなくて、常識の背後に暗黙のうちに仮定していた設定が壊されているわけである。その仮定がないときに別の素晴らしい世界が待ち構えていることが最近の研究で次々と明らかになり、そのダイナミックな様子が手に取るようにわかる。本書の各所に点在する四角囲みの内容は数式を用いずに実に味わい深い。それぞれが数学的な定理に基づいているのだろうと想像するし、数学的に記述するとどうなるだろうと思いを馳せたくなる。本学の理科生ならば、ここはリプシッツ連続でない関数のことなのかなどと妄想する場面がでてくるが、そのとおりである。一年次の数学で学習する内容がここでの「学習」でも基礎となっている。
 さて、優れた深層学習を活用したAIが実際に目の前にあれば、理屈など知らずともよしとする考え方もあるかもしれない。そのような読者には、ぜひ最終章だけでも一読をお勧めしたい。また、本書はAIの導く結果と我々がどのように付き合うべきかを考えるきっかけを与えてくれ、日常生活で目にするAIに対する見方を変えてくれるはずである。ただし、囲碁の中継の勝率を見て、一喜一憂することは変わらないと思う。

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(岩波書店、二〇二一年)
提供 岩波書店

(相関基礎科学/先進科学)

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