HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報630号(2021年10月 1日)

教養学部報

第630号 外部公開

意識の数理的な理論に向けた探求

大泉匡史

 近代科学は主観と客観を切り離すことによって始まった。我々がこの世界に成り立つ物理法則を見出そうとするとき、重要なのは、世界を客観的にかつなるべく正確に観測し、定量化することである。徹底的に主観を排除して、世界を客観的に観測し定量化する方法が成熟することにより、我々は数式によって世界を記述する方法論を手に入れた。物理の歴史で言えば、その端緒となったのがニュートン力学である。以降、観測技術が大幅に進歩することで、我々はニュートン力学の適用限界を知り、相対性理論や量子力学といった、現代科学の根幹を成す法則が見出されることとなった。
 世界の客観的でかつ正確な定量化に基づき、物理法則を発見するという、栄光の歴史の中で取り残されたものがある。主観である。我々は、客観的な対象として世界を観測し、理解する一方で、世界を主観的に体験している。我々が持つ主観的な体験は、意識と呼ばれる。例えば、りんごを見て、りんごが「赤い」という主観的な体験を持つ。この「赤」の体験を引き起こしたのは客観的には、ある特定の波長を持った光(電磁波)である。そうした客観的な事実とは別に、赤い光を見た時にそれを見た本人だけが感じる主観的な体験、これが意識である。あなたがりんごを見た時に主観的に感じる赤の「赤らしさ」を説明してください、と言われると途端に言葉に詰まってしまう。このように、意識はどうやっても他人に伝えられない、言語化できない、定量化できないものである、と思いこまれてきた。しかしながら、果たして本当にそうなのだろうか?
 実は、一つ簡単な方法がある。自分が感じている意識の質(赤の「赤らしさ」等)を説明するには、他の意識の質を参照して、それらの関係性を伝えれば良い。関係性といっても、色々考えられるが、ここでは一つの例として、似ているか、似ていないかという類似度を考えてみよう。例えば、自分が感じている「赤」の質を伝えるには、「オレンジ」や「紫」とは似ている、「青」や「緑」とはあまり似ていない、などと伝えることができる。このような色に対する主観的な感覚の類似度は、既に調べられており、円環状の構造を持つと理解されている(マンセルの色相環)。他のものを参照して、自分の主観的な体験を伝えるという行為は、我々も日常的に行っているのである。例えば、外国で食べた、これまで食べたことがない果物の味を伝えようとした時、「熟れたバナナのような味」などと、別なものを参照して伝えると未知の味の想像がしやすくなるだろう。
 以上で述べたように、主観的な体験同士の関係性に着目するということ自体は、研究の方法論として特段に新しいことではなく(例えば色の類似度など)、我々も日常的に行っているありふれた行為である。しかし、関係性に着目することで、我々は今まで、いかなる手段をもってしても定量化することが不可能だと考えられてきた、意識の質を定量化する方法を手にしたことになることに、今一度着目してほしい。つまり、ある意識の質Cと、他の可能な限り多くの意識の質C1、C2、C3、...との類似度を全て測るということは、意識の質そのものではないが、少なくとも一つの側面を定量化していることになることは間違いない。そして、定量化の手段を得たということは、意識の質が数学的な対象となったことを意味し、そこから数理的な理論を作れる可能性が生じていることになる。
 私は現在、この考え方に基づき、意識の数理的な理論、脳と意識を結ぶ数理的な関係式を見出すことを目標に掲げて研究を行っている。例として、図の視覚の問題を考えよう。従来の脳科学が主に対象としてきたのは、外界の刺激s(例えば光)とそれによって生じる脳活動rとの間に成り立つ変換則を明らかにすることであった。すなわち、r=f(s)と表した時の関数fである。ここで、外界の刺激sと脳活動rのどちらも客観的な観測量であり、物理学同様、主観は切り離されて研究されてきた。
 一方、意識の理論が明らかにすべきなのは、脳活動rとそれによって生じる意識Cとの間の変換則である。しかしながら、Cとrとを結ぶ直接的な変換則C=g(r)を探すことは、Cそのものを定量化ができないという困難があり実現できない。そこで、Cそのものを直接的に定量化するのではなく、Cと他の意識C´との関係性を定量化することで間接的にCを定量化することを我々は提案する。すなわち、Cと他のありとあらゆる意識体験C´との関係性をhom(C,C´)=hCと書き、hCをCの間接的定量化とみなす。CとC´に対応する脳活動RとR´との関係性をhom(R,R´)=hRと書くと、我々の目標はhCとhRとの関係hC≅g(hR)を見出すことであると定式化できる。ここで、記号≅は、左辺と右辺が数値的に完全に一致するという意味の等号記号=とは別のもので、左辺と右辺が関係性として本質的に同じ、数学の言葉で言うと同型であることを意味する。
 このように数式で書いてしまうと、なんだかできそうな気がしてくるが、もちろん物事はそれほど簡単ではない。このフレームワークを実現するには、意識の関係性hCを定量化するための心理物理実験、脳活動の関係性hRを定量化するための脳計測実験、そしてそれらを結びつける数理gの全てが必要である。そして、それぞれに様々な技術的な困難があり、実現は容易ではない。しかしながら、困難を重々承知しつつも、私がこの研究に取り組む理由は、この方法論が今までとらえどころがないように思えた、意識の問題を解決する糸口のような気がしているからである。もちろん、勘違いであるかもしれないが、どのような結果が出るにせよ、問題が解けるのではないかと思って、あれこれ試行錯誤している行為自体が楽しいものであり、おかげで私は日々楽しんで研究ができている。
 この文章は、詳細な説明を省略しているため、理解不能な点が多々あることと思う。もしこれを読んで興味を持った方は、私が参画する研究グループ「クオリア構造」、または私の研究室のホームページにある参考文献をご参照いただければ幸いである。


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(広域システム科学/物理)

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