HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報632号(2021年12月 1日)

教養学部報

第632号 外部公開

「流れる固体」の支配法則

池田昌司

 マヨネーズは固体だろうか、流体だろうか? マヨネーズをお皿に盛ると、勝手に流れ出して崩れる事は無いので、固体のように見える。一方でチューブからマヨネーズを出す時には、弱い力でも簡単にマヨネーズを流し出すことが出来るので、流体のようにも見える。同じ事は、バターにも言えるし、歯磨き粉にも言える。視野をもっと広げると、氷河だって氷なのに長大な時間をかけて流れている。このように私達の物質世界には、固体のように見えて、実は流れ出してしまうモノがたくさんある。まるで、ダリの絵画「柔らかい時計」の世界のようだ。では、このような「流れる固体」を、基礎物理として理解することは可能だろうか?
 固体と流体の区別をおさらいしておこう。固体とは、外力により変形するものを指す。外力をF、変形をxとすると、標準的な固体ではF=kxが成立する。バネの関係式としておなじみだろう。一方で流体とは、外力により流れるものを指す。標準的な流体では、流速をvとしてF=μvが成立する。これも空気抵抗の関係式としておなじみだろう。つまり、変形の大きさが力に比例するのが固体であり、流速が力に比例するのが流体である。
 では流れる固体では、力と流動の関係はどうなっているのだろう? 実はF=Fy+Avnという関係が成立することが、百年ほど前から経験則として知られており、Her­schel-Bulkley則(HB則)と呼ばれている。HB則には面白いポイントが色々ある。まず定数項Fyの存在だ。すなわちHB則は、外力が小さい(F<Fy)と流れが起きないことを主張している。一方で外力が大きい(F>Fy)と流れるが、力は流速に比例せず、流速のn乗と関係する。ここでnはHB指数とよばれる定数であり、多くの場合、0と1の間の非整数である。「流れる固体」を物理的に理解したいと思うとき、このHB則を理解することが最重要ターゲットとなる。
 HB則を理解することは、現代でも容易でない。固体のF=kxは、力学や統計力学を勉強すると説明できるようになる。流体のF=μvはもう少し難しいが、大学四年程度で非平衡状態の統計力学を学ぶと、外力が十分弱いときには線形応答理論が成立することがわかり、この関係が説明できるようになる。しかしHB則は非整数ベキの関係であり、さらに外力が強いときに現れる法則である。線形応答理論では歯が立たない。食卓のマヨネーズやバターたちは、こんな訳の分からない法則に従って流れているのだ。
 近年、弾塑性模型と呼ばれる簡素な模型の研究を通して、HB則を理解しようとする試みが活発になっている。その詳細に立ち入る余裕はないので、一番大事な所だけ述べよう。この模型がHB則に従って流動している状態では、「雪崩」が起きている。ここで雪崩とは、雪山で起こる雪崩とほぼ同じ意味だ。固体中のある箇所で破壊が起こり、それが契機となり他の箇所で破壊が起こり、それが契機となり他の箇所で......と続く現象が、雪崩である。この弾塑性模型の研究を踏まえて、雪崩の頻度・大きさを介して、HB則を説明しようとする機運が盛り上がっているのが現状だ。
 しかし、この模型と現実の流れる固体を直接比較することには、大きな困難があった。現実の流れる固体は、粒子からなる系であり、各粒子は古典力学に従って運動している。破壊という抽象的な言葉で表しているものは、実際には、粒子の運動である。では、一体どのような粒子運動が破壊に対応するのだろう? 粒子の運動から、雪崩が起こったかを判定できるだろうか?
 ごく最近、JSPS特別研究員として研究室にいた大山倫弘さんが中心となり、この困難を乗り越えることに成功した。その基本的なアイデアは、基準振動解析を用いることである。理系の学生は、「振動・波動論」において、固体の運動が基準振動でうまく記述できることを学んだと思うが、我々は、この方法を流れる固体に適用した。これにより、破壊に対応する粒子運動を、負の固有値をもつ振動モードとして検出することが可能になり、系内で何個の破壊運動が進行しているかを、定量的に測定できるようになった。さらに破壊運動の個数をMとするとき、F-Fy¢Mが成立することを、理論的・数値的に確立することに成功した。この研究により、微視的な粒子の運動の特徴と巨視的なHB則を、直接つなげることが可能になったのだ。
 流れる固体の理解は一歩進んだが、完全な理解には未だ遠い。HB則の最終的な理解には、指数nの理解が必須である。しかし我々の精密測定によると、粒子系のnの値は、弾塑性模型の理論予測とは異なっている。この違いは何によるのだろうか。また流れる固体では、ある粒子は破壊運動を起こすが、他の粒子はそうではない。この違いは、粒子の何に起因するのだろうか。流れる固体をめぐるこれらの基本的な問いは、未だ答えがなく、さらなる研究を必要としている。

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    流れる固体における粒子達の運動の様子。
    破壊運動している粒子には影をつけている。

(相関基礎科学/物理)

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