HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報632号(2021年12月 1日)

教養学部報

第632号 外部公開

<送る言葉> 基本のキ ─清水明先生を送る

福島孝治

 いきなり個人的な思い出で恐縮であるが、もう二十年ほど前、私が初めて駒場でインフォーマルなセミナーを行ったときのことである。セミナーも終盤になり、そろそろ閉会が見えてきた頃であった。狭いセミナー室の、講演者の私からみて左に座られていた先生から「ところで、君の言ってる純状態とはなんのことですか?」と最も根幹にかかわる直球の質問が飛んできた。これが清水先生であった。そこまで純状態が何個あるのか議論してきた後にこの質問である。そもそも純状態は適切に定義されているかという指摘でした。このように清水先生の質問はいつも基本のキに目を向けさせてくれる。我々研究者は巨人の肩の上からできるだけ遠くを眺めたいと背伸びばかりしがちであるが、時にその巨人の足元を見つめ、それが幻想でないと確かめることの大切さを教えてくれている気がする。
 清水先生の研究分野は量子物理学であるが、研究分野から少し離れたところにいる学部生や大学院生からするとやはり『量子論の基礎』(サイエンス社)と『熱力学の基礎』(東京大学出版)の二大名著の印象が強いだろう。学問体系が形成された歴史を辿ることをせず、現代的な視点から論理体系を理路整然とまとめられたこれらの教科書はまさに基本のキを学ぶ意義を実感させてくれる。やや誇張すると、この二冊を読んでも水素原子の波動関数は計算できないし、熱機関の熱効率も計算できない。そんな些末なことよりも量子力学や熱力学を深く理解するとはどういうことかをじっくり考えさせられる。我々が学生の頃には無かったまったく新しいスタイルの教科書であり、こういう骨太の教科書を手にできる現代の学生が羨ましい。いや、物理学の研究者として言ってはいけないのかもしれないが、今の自分が読んでも学ぶことが多い。次は統計力学の教科書の出版が予定されているとのこと、それもまた楽しみである。
 ここ数年の清水先生は先進科学研究機構の機構長として、機構設立とアドバンスド理科の開設・運営に大変ご尽力いただいている。清水先生は普段より機構運営の基本は「分野よりも人」にあると強調し続けられてきた。流行り廃りのある分野ではなく、そこに立ち向かう研究者である「人」に目を向けることが基本のキというわけである。駒場の研究環境をよりよくし、生き生きと研究する「人」の営みを見せることが何よりも前期課程学生に大きな刺激を与えることは言うまでもないが、こっそり潜ってアド理科を聴講されている清水先生もまた刺激を受けているようであった。アド理科を受講した学生が十年後にどんな「人」になっているかを清水先生は楽しみにしておられると思う。
 未刊の『統計力学の基礎』を首を長くして待ちながら、清水先生のさらなるご活躍をお祈りして、贈る言葉とさせていただきます。これまでありがとうございました。

(相関基礎科学系/先進科学)

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