HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<駒場をあとに> それでもやっぱり駒場が好き(?!)

金子邦彦

image632_02_1.jpg 下北沢寄りの、「狭き門より入れ」と言うような入り口を抜け、心の目で見よ、とでも言わんばかりの、水なき「流水自然庭園」の標識を右に眺め、そしてこれより先は、俗世にあらずと伝えたげな鬱蒼とした茂みを抜ける。春にはその先で、年年歳歳花相似 歳歳年年人不同と感じるに至る。その順番とあいなった。
 教養学部報にはこれまで十三回寄稿、また同僚による書評なども五回書いていただいていた。なので研究についてはずいぶんと述べたし、また教育についても学科長としての基礎科学科そして統合自然科学の(風変わりだけど愛に溢れた?)学科紹介で、何度かその一端を書かせていただいた。そこで本記事ではそれ以外の部分を書くこととしたい。
 一九八五年に物理学教室(現物理部会)の助手に着任した。人事の新陳代謝のためにこれからは(五年)任期にする、また内部昇進はなし、ということだったので、数年でどこかに行くものと決めていた。ところが五年目に諸大学の公募に落ちているうちに、当時はまったく別組織だった、基礎科学科の助教授公募で拾ってもらうこととなった。当時、基礎科学科で面識のあったのは、数学のT先生だけだったので意外ではあった。これは臨時増員ポストで、文理の競合の結果、理系につけるかわりに、前期文系学生にプログラミングを教える科目を担当するという人事だったので、変わった分野の人をとってみようとなったのかもしれない。当時はこの授業は選択で、統計物理を模した意見同調モデルとか、各男女に嗜好変数を付与して近い同志が結婚を好むゲームでの戦略依存性など、ずいぶんと妙な課題を課したりもしていた。
 で学科の先生方には、当初はカオス?複雑系?何それ?と思われていたけれど、しばらくして大学院重点化で複雑系を一つの柱とすることになり急に引っ張り出されることになった。四年目に教授に、と言われて、まだ若いし忙しくなりたくないので、と断りに行ったら、そんなに仕事振らないから、とK学科長にいわれて、まぁいいかと思ってお受けすることとした。
 確かにしばらくはそうだったのだけれど、四年目に駒場でCOEを申請したいから代表をやってくれと言われることとなった。当時、理論家は研究予算は年百万もあれば十分だったので、いきなり二桁以上の予算申請書で頭がくらくらとした。といっても、この当時(九九年)のCOEは全分野全大学で年四件というものだったので、まさか通るまいと思っていたら通ってしまった。この時、普段はシニカルなA研究科長が、これで駒場も(教育だけでなく)研究組織として認められた、とことのほか喜ばれたのが今でも印象に残っている。で、せっかくやるなら、ということで「生命システムをつくる、(物理で)測る、理論モデルでわかる」という、(前世紀としては)斬新なプロジェクトテーマにしていたので参加できる教員も限られてしまい大変ではあった。それでも、これを源流として学問も広がったし、またこのプロジェクトに参加していた院生から多くの(准)教授も輩出した。楽しい思い出ではある。
 さて、これが終わって、お役御免と思ったら、COEをやったら、それでセンターを作ったらいいのではとA´研究科長がおっしゃる。予算も人員もないのに(スペースはCOEを機にAdvanced Research Laboratoryが建てられたので多少はあったけれども)、労力だけ増えてやる意味ないのでは、と反論を試みたが、こういうのは続けているとメリットが出てくるものと諭された。毎年パンフを出し、諮問委員会を行い、概算要求を出していたら、五年任期のポストを二つつけていただき、また後に全国四件の生命動態拠点に選択される母体ともなり、そして数年前からは連携生物普遍性機構の一翼を担っている。先達の先見に感心する次第である。
 さて、駒場の教員ならご存じのように、仕事が振られなかったのはもちろん最初だけ。ただ、多くの業務で文系の先生に色々助けていただいたのがよい思い出である。三鷹寮委員長のときはあまりに頼りない僕をみかねて国文学のK先生が助けてくださった。後期課程委運営委員長の時は、理系には関係ない議題だし、と駄々をこねる僕を副委員長が諸所で支えてくださった。逆に、留学生を決める委員長の時は頭に乗って、韓国で村上春樹研究はマンネリだし、円仁の入唐求法巡礼行記を研究しているロシア人にしましょう、とか好き勝手をやったような気もする。一方で、某業務で出会った先生方に、当研究室出身の作家への授賞や書評のお礼を述べたのを機に文学談議がはずんだのは楽しい思い出である。文理にまたがって一緒になにか創り出す、とまで至らなかったのは残念至極である。
 ただ、昨年度は文化人類学と複雑系進化モデルをつなぐ研究で、大学院生が総長賞をいただいた。文化人類学といえば現M研究科長なので議論もさせていただいた。個人に嗜好パラメタが付与されていてそれで婚姻が行われ、進化していくうちに、レヴィ=ストロースが述べた親族構造が出てくる、というモデルでの研究で、助教授着任時に出していた課題を少し思い起こしもした。
 もちろん、いろいろとつらいこともあった。とはいえ、よそからの身に余るお誘いを、巨人や阪神よりはヤクルトのほうが好きかも(?)とかいう、わけのわからない理由で断ってきたのだから、やっぱり駒場が好きだったに違いない。ひょっとすると片思いだったのかも、とか、それって「好きの搾取」(某TVドラマのセリフ)なのでは、とか思ったこともないわけでもないけれども。今、駒場愛に溢れて、研究教育に勤しんでいる中堅若手の先生方を見るにつけ、そうした方々がゆめゆめそのようなことを感じない、楽しく研究教育できる駒場であってほしいと願うばかりである。
 末尾になりましたが、先達、同僚、研究室の方々、分かりにくい講義をきいて下さった学生の皆様、そして、事務能力0の私を支えてくださった秘書さんと事務の皆様にあらためて感謝したい。

(相関基礎科学/複雑系生命システム研究センター/生物普遍性機構)

第633号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報