HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<送る言葉> 生命宿る金子生命理論

若本祐一

 金子邦彦先生が展開されてきた唯一無二の生命研究の世界に私が初めて触れたのは、まだ基礎科学科(統合自然科学科の前身の学科)の一学生のときだった。金子先生は、複雑系・カオスの分野で大域結合モデルをはじめとする華々しい研究成果を若くして挙げられ、さらに統計力学や複雑系科学の研究成果・知見を携え、生命現象の世界を縦横に飛び回り理論生物学の新たなフィールドを次々と開拓されていた。当時の錚々たる基礎科の先生方の中でも明らかに異彩を放っておられ、学生同士で「金子先生はヤバい」と当時流行り始めた表現で畏敬をもって話していたのを思い出す。
 私自身、金子生命理論の影響を強く受けた研究者の一人だが、膨大かつ多岐にわたるその研究業績を紹介することは、私の能力の範疇を完全に超えている。ただ一点私が特筆したいことは、金子生命理論の中で提示される様々な理論は、高度に抽象化されているにも関わらず、いやむしろ本質を捉えた高度な抽象化がなされているからこそ、そこに「生」を感じさせるという共通点を有している点だ。例えば、金子生命理論によく出てくる細胞モデルは、極言すれば単なる化学反応を内包した袋にすぎない。そこにはDNAやタンパク質といった特定の化学物質は明示的には存在しないし、セントラル・ドグマもない。にもかかわらず、その「細胞」は相互作用を通じて分化し始めたり、揺らぎを利用して適応したりする。そして何よりも、現在の生物が普遍的に持つ情報分子(DNA的な役割を持つ分子)や情報の流れ(セントラル・ドグマ的構造)、細胞分化の階層性、適応能、ホメオスタシスといった構造・性質が、仕組んだわけでもないのに相互作用や進化を通じて立ち上がってくる。そのようなモデルの諸性質を目の当たりにすると、我々が実際の生細胞に対して感じる「生」の感覚を、そのモデル細胞にも否応なしに感じるのだ。細部に渡って現実を模した凡百の細胞モデルよりもはるかに「生きている」。
 将来、我々人類が地球外生命と遭遇したとき、その生命体がDNAやタンパク質を持たない可能性は十分に考えられるが、金子生命理論の描き出す世界から大きく外れる可能性は低いだろう。そのような金子生命理論の姿勢は、小松左京のSF小説から「普遍生物学」という言葉をリアル世界に召喚し「生物普遍性連携研究機構」を東大の中に作り上げてしまったことからも窺える。
 金子先生の生命理論は細胞だけでなく、脳、生命の起源、生態系から、最近では文化人類学にまで及んでいる。絶滅が嘆かれる「教養人」の実像を私は金子先生を通して垣間見させてもらっている気がしている。そんな金子先生が退職で教養学部だけでなく日本を後にされることは、我々にとって大きな損失であることは間違いない。ただ金子先生ご本人にとっては、より一層自由な研究環境に移られるわけで、今後展開される研究が楽しみというのも正直なところだ。分子生物学の端緒を開いた物理学者ニールス・ボーアの名を冠する研究所へ移られるとのことだが、「普遍生物学」はコペンハーゲンでその端緒が開かれたと将来言われないように、残される我々も頑張らねばならない。

(相関基礎科学/物理)

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