HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<駒場をあとに> 西人の東下り、25年後

山田広昭

image632_04_1.jpg 着任が一九九六年だったので、駒場にはちょうど四半世紀在籍させていただいたことになる。大阪の農家(大阪にももちろん農村は存在する)で生まれ育ち、学生生活は京都、就職先は神戸だったので、パリへの三年余りの留学を除けば、不惑間近まで関西以外の土地に住んだことがなかった。ご存じの方も多いと思うが、関西人には独特の矜持がある(関西でも大阪と京都だけは別という説もあるが真偽不明。以下用心して大阪人と記す)。大阪人の矜持イコール反東京という括りはいかにも安易だが、ジャイアンツに勝ちさえすれば、優勝せんでもええ(たんに弱いだけという事実には目をつむる)というタイガースファンに代表される雰囲気は否定しがたい。もう一つの価値基準は、おもろい奴かおもろない奴かという二分法で、落ちこぼれて後者に入ってしまうとつらい思いをする。自虐で笑いをとるというパターンもあるが、これはかなりの技術を要する。ひとりボケ、ひとりツッコミもしかりである。ともあれ、大阪人の真骨頂、反東京かつ受け狙いに極まれりということになろうか(異議ありという大阪人、出てこいや)。
 というわけで、駒場の新任教員御用達、教養学部報の自己紹介記事「時に沿って」につけたタイトルは、「西人の東下り」であったと記憶する。キャンパスでは大阪弁が幅を利かせていることにはすぐ気づいたので(一人居ると十人分ぐらいうるさい)、痛いタイトルをつけたものだとは思ったが、書きたかったのは、坂口安吾が「文学のふるさと」で言及している「鬼瓦」という狂言のことだった。国元を離れている大名が太郎冠者を供につれて寺詣でしていると、突然大名が寺の破風の鬼瓦を見て泣きだしてしまうので、太郎冠者がその次第を訊ねると、あの鬼瓦はいかにも国に残した自分の女房によく似ているので、見れば見るほど悲しい、と言って泣くという話だが、その心はというと、当時私は、単身赴任になることが決まっていたのである。で、東京では寺詣でだけは決してしないつもりだと書いて文を終えようと思ったのだが、妻の目に触れると不興を買うことは確実だったので、念のため妻は鬼瓦には全然似ていないという注をつけてしまった。ユーモアのセンスのなさはこういうところにあらわれる。「文学のふるさと」を論じて「鬼瓦」を持ってくる安吾の突き抜けぶりはマネができないとしても、この手の中途半端はだめだ。結果が妻の不興と落ちのない話の両方となったことはいうまでもない。
 というわけで、駄文「東下り」はあらゆる意味でだだすべりに終わったが、着任時にカルチャーショックは確かにあった。最初の驚きは、人事案件に入ってからの教授会で、講師人事が終わると講師、助教授人事が終わると助教授は退出、最後は教授だけの教授会になるというシステムだった。そんなことに驚く奴がいるのかと逆に驚かれると思うが、私の前任校では、講師も教授人事に投票権を持っていただけではなく、選考委員会のメンバーにさえなれたのである。おそらく六九年以降の慣例だと思われ、文部省(当時)には隠されていたのではないかと推測されるが、私にとってはこちらがスタンダードだったのだから東大のシステムに驚いたとしてもしょうがない。その後もなんどか、さすがは中央官僚養成大学だけのことはあるとの思いにとらわれた。駒場が東大の部局の中でもっともリベラルな場所であることを認識するにはしばらく時間が必要だった。今ではほとんど駒場を愛していると言いかねない自分に驚くが、それには所属先が言語情報科学専攻であったことが大きい。大学院重点化に伴って立ち上がったばかりだった言語情報では、教員も学生も専攻のこれからを決めていくのは自分たちだという雰囲気が濃厚で、活気があった。しかも、良い意味で自分たちは本流ではないという意識があって、その点も居心地がよかった。先輩にも同期にも恵まれていたと思う。
 さて、二十五年の駒場生活で何ができたかであるが、残念ながらこれをやりましたと自慢できるものがない。個人プレイで生きていけるとの見込みで大学教員を志したのだから組織への貢献を語ることがそもそもおこがましい。ただその割には研究科長補佐に始まり、学科長、専攻長(このときは研究科教育会議議長も回ってきた)と、とりあえず学内行政上の職務を一通り大きなミスなく(たぶん)こなせたことは、えらかったと自分を褒めたい。一番忙しかったのは補佐の時で、一応毎日詰めるように言われていたが、カリキュラム改革の時期に当たっていたこともあって、本当に毎日何かしらの仕事と会議があった。そこに倒錯的な満足がなかったとはいえない。忙しいと自分のふがいなさを忘れていられるから。行政的な仕事にかかわれて一つよかったのは、教員の仕事がいかに優秀な事務方のサポートによって成り立っているかを身を以て知れたことである。ただただ感謝である。
 最後に教育のことだが、教員生活で一番あってはならないはずの、授業の質と論文指導にだけは後悔の念があるというのが情けない。研究のことは?これはまだ終わったとは思っていないので、過去形では書きたくない。(本当は前半に余計なことを書きすぎて紙幅が尽きた。)

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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