HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<送る言葉> 違和感の人

郷原佳以

 何を当面の研究課題としていても、つねに自分の核を構成しているような問いを持っているのが研究者であるとすれば、山田広昭先生は真の研究者であるとつねづね感じてきた。核となる問いへの取り組み方は研究者によりさまざまである。文学なら文学という同じ領域のなかで、核となる問いを一人の作家について、あるいは同地域・同時代の複数の作家について変奏しながら問い続ける場合もあれば、領域や分野をまたぎ、かけ離れた課題を一見器用にこなしているように見えながら、その実それらすべてがある根本的な問いによって内発的に生み出されている場合もある。フランスの詩人ヴァレリーのテクストを精神分析批評や言語学との関連において読むことを専門としながら、幅広い領野を押さえ、日本文学研究の学生なども多数指導されてきた山田先生の場合はこの後者である。そのあり方は、しかし、器用さの対蹠点にあって、研究を超えて見られる先生のある種の倫理的な姿勢と不可分である。その姿勢は、一言で言えば、懐疑の人、あるいは、違和感の人、ということになるだろう。山田先生は、研究においても教員としても、体制や因習に対する違和感を抑えつけず、その源を追求する人、けっして長いものに巻かれない人である。二十年ほど前に学生として教えを受け、六年前からは言語情報科学専攻のフランス語教員の一人としてそのお仕事を手本としてきた私が、先生を研究者としても同僚としても全面的に信頼してきた所以である。
 たとえば山田先生は、いまよりも批評理論や現代思想に光が当たっていた時代でも、リアリティに裏打ちされていない、いわば理論のための理論には懐疑的であった。そのことと関連して思い出されるのは、二〇一一年六月に駒場のUTCPで行われた講演「文学と精神分析──『症例』ポール・ヴァレリーをめぐって」での発言である。山田先生はおおよそ次のようなことを述べられた。文学研究者はあるテクストの特権的価値に絶対的な信をもっている一種の差別主義者なのであって、すべてのテクストにあてはまる最終審級などないことを知っている、そうでなければそもそも文学研究などやっていない。理論への抵抗の表明とも言えるこの言葉を聞いたとき、前任校で文学理論を教え始めていた私は思わず深く頷いた。ある一個のテクストをまず絶対的に愛することなくして、あたかもそれが普遍的であるかのように文学理論を云々することは欺瞞なのだ。とはいえすぐさま、山田先生は次のことも強調された。文学研究者はもちろん同時に理論の不可避性も承知しているのであって、そのような者にとって道を照らしてくれるのが精神分析批評なのだと。山田先生が精神分析批評を重視する理由がわかったように思った瞬間だった。
 山田先生の問いの核心が何であるかを一言で言い当てることは難しいが、少なくともそれは、言語に内在する対話的、もしくは、山田先生たちの導入した魅力的な言葉で言えば、「誘惑」的、「交通」的性格、あるいは、「内なる他者」によって駆動する言語の問題だと言えるだろう。その問題が、刊行後三十年経った今でもまったく色褪せることがないどころか、類書の見当たらない『現代言語論』(立川健二との共著、新曜社、一九九〇年)から、専門であるヴァレリーやその師マラルメのテクストをロマン主義という観点から読み直し、その政治性を剔抉する『三点確保』(新曜社、二〇〇一年)、そして、人類学者マルセル・モースの贈与論から交換と不可分な贈与の問題を論じ、近代フランス文学という専門領域から大きく飛躍したように見える『可能なるアナキズム』(インスクリプト、二〇二〇年)までを貫いている。というより、「当初考えていたのは一九世紀末のフランスにおけるアナキズムと文学(芸術)との関係を追跡することだけであった」というこの最新刊のあとがきを信ずるならば、内発的な問いかけが徐々に前面に出てアナキズムに逢着したのだろう。『三点確保』の序文では、神秘主義的な一元論は首肯しえず、かといって二項対置のもつ「論争的爆撃力」にも「違和感」を覚えるがゆえに「三点確保」という方法論に辿り着いたのだと、出発点が「違和感」にあることが告げられていたが、『可能なるアナキズム』のあとがきでは、「権威を前にした自己証明競争」への「嫌悪」が出発点にあったことが具体的なエピソードと共に明かされている。
 「権威を前にした自己証明競争」はあらゆるところに浸透し、大学という環境もそこから無縁ではない。研究者にとっても教員にとっても、「違和感」はもっとも大事にすべき感覚ではあるまいか。これから折々に山田先生に頼ることができなくなるのは心細いが、違和感をうやむやにしないその姿勢を肝に銘じたい。ありがとうございました。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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