HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<時に沿って> アメリカの公共図書館と市民

平松彩子

 二〇二一年九月一日付で大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センターの准教授として着任しました平松彩子です。私の専門は現代アメリカ政治で、アメリカ合衆国の深南部州と呼ばれる地域、特にサウスカロライナ、ジョージア、アラバマの三州で一九六〇年代末から七〇年代初めにかけて実施された州民主党制度改革を比較する研究でPh.D論文を書きました。
 私の生まれと育ちは福岡市内ですが、高校、大学の学部、大学院のいずれの時期も、日本とイギリス、あるいは日本とアメリカ合衆国の学校で学びました。詳細は長くなるので省きますが、二つの言語、三つの国、六つの学校で高等教育を受けた経験はとても貴重なものでした。その中でも印象に残っているのは、大学で教養学部に入学した初日のキャンパスツアーで、「ここは良き市民を育てる場所です。四年間の学びを通じて良き市民になってください。」とガイド役を担当してくださった職員さんに言われたことでした。当時この言葉に新鮮な驚きと、少しばかりの戸惑いを感じたことを、今でも覚えています。
 私は職業柄、通勤電車内でアメリカのラジオニュースを聞くようにしているのですが、その報道で二〇二一年十月はじめにニューヨーク公共図書館が利用者の延滞料金を全て廃止したとのニュースを知りました。図書館長のトニー・マルクスさんが発表した声明によれば、「延滞料金が累積し図書館からの蔵書の貸し出しができなくなっているのは市内の低所得者層に偏っている。しかし彼らこそ、公共図書館が知の世界にアクセスする機会を無償で提供すべき人々であり、延滞料金がかさむことにより図書館が利用できなくなれば平等な社会は実現できない。よってこの方針を導入することにした」、とのことです。でもそんなことをしたら、利用者は図書館の本を期限通りに返却しないどころか、我が物として持ち去ってしまうのではないか。あるいは図書館が平等な社会の実現に寄与できることなどたかが知れている、といった声も出てきます。しかし、そういった批判に対して声明は、「ニューヨーク市民は公共心を持ち合わせているから、他に蔵書を必要としている他者のために、借り出した本をこれからも必ずや図書館へ返却するだろう。コロナ禍で格差が広まっている今こそ廃止すべきなのだ」、と断言しています。
 マルクスさんは大学で教鞭を取っていらっしゃった比較政治学者でもあるのですが、市民の善性と公共機関が社会で果たすべき役割にある種の信念を持ってニューヨーク公共図書館を運営されている、というのがとても面白く、延滞料金の廃止はアメリカらしい実験だなと私は思います。図書館の利用に罰則を設けないことが平等な社会の実現に寄与しうるという考えに、ひとまずの希望を託してみる価値はありそうです。
 アメリカを舞台に、市民、公共、国家、あるいは政党といった政治や社会の事象についてこれからも考え続けて行きたいと思います。その成果について駒場に集う皆さまと教室や研究会で議論をできることを、とても楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

(グローバル地域研究機構/法・政治)

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