HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報633号(2022年1月 5日)

教養学部報

第633号 外部公開

<時に沿って> きっかけは15の夜?

中村沙絵

image632_06_3.jpg 二〇二一年十月一日付で総合文化研究科超域文化科学専攻に着任しました、中村沙絵と申します。所属は大学院ですが、教養学部前期課程のアドバンスト文科にかかわる授業や業務も担当しています。専門分野は人類学と地域研究です。フィールドワークは主にスリランカでやってきました。少しずつ日本でも始めようとしているところです。
 京大にいた私の恩師は、地域研究や人類学における「十を聞いて一を知る」態度、フィールドワークといういわば「効率のわるい」発見的方法を、大事にしていました(研究者としては、理論派でしたが)。私はというと、頭をいくら酷使しても限界があるような学生でしたが、ただ、身体ごとフィールドに飛び込んだときに何かが動き始める感覚は強くありました。その感覚に突き動かされてひたすらノートをとり、本にもう一度戻りつきつめていくと、思いもよらない方向に導かれていく。その過程が刺激的で、研究を続ける大きな原動力になっていったように思います。出産育児で思うように研究が進まないなか断念しそうになったこともありました。周囲の支えで研究を今まで続けてこられたのは、本当に有難いことだったと思っています。
 さて、時に沿ってふり返ってみれば、研究者を目指すきっかけもそんな身体ごと飛び込む(投げ込まれる?)経験にあったような。中学時代、父親の仕事の関係でインドネシアに住んでいました。ちょうどスハルト政権が倒れる時期(一九九七〜八年)です。スクールバスが投石にあったため市内に入れず、学校に引き返し体育館で一晩を過ごしました。中学三年(最高学年)だったので全生徒分のおにぎりを握ったり、体育館で皆が寝静まった後、暗がりのなかで親友の誕生日を祝ったりしました。ちょっとした高揚感もあったのですが、やはりいつ何が起きるかわからない圧倒的な不安はこれまで経験したことのないものでした。世の中や、自分とは違う生活をおくる人々の考えや生き方に、不気味なほどの解らなさやそれゆえの畏怖のようなものを感じた瞬間だったと思います。(この話をするとインドネシア研究者の方から「じゃ、なんでスリランカ?」と聞かれることがあります。自分でも明確な答えはないのですが、私の第二の家族になってくれた人たちがとても魅力的な方々だった、これに尽きるのかもしれません......)。
 スリランカでは福祉や医療、ケアや家族をテーマに研究をしてきました。二十代の頃はどこか頭で考えていたようなことも、日本で家族ができ、同僚ができ、学生さんたちと出会い濃く関わり合うなかで、具体的な実感の伴う問題として受け止められることが増えてきたように思います。一生活者として、人間である以上は関わらざるを得ないような問題について、これからもさまざまな環境や関係性に身を投じながら、あるいはその狭間に身をおきながら、自由に追求していけたらと思っています。

(超域文化科学/文化人類学)

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