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教養学部報

第634号 外部公開

<駒場をあとに> 教養課程のこと

時弘哲治

image634_01_1.jpg 私は一九七五年に理科一類に入学し駒場で二年間を過ごした後、本郷の工学部応用物理学科物理工学コース(現在の物理工学科)に進学してそのままそこで職を得ましたが、 一九九五年に大学院数理科学研究科に異動して再び駒場に戻り、以降はずっとここ駒場にお世話になってきました。通算で二十九年間の駒場を中心とした生活でしたので、さまざまな思い出があります。中でも、最初の二年間、つまり駒場の教養課程時代は強く記憶に残っています。それは必ずしも楽しい思い出というわけではありません。
 私は山口県の瀬戸内海側にある平生町という小さな町で生まれ、大学に入学して初めて親元を離れ東京での下宿生活を始めました。最高学府と言われる大学に入学できたことで自らを恃むところも厚く、また、都会での一人暮らしに胸を躍らせていました。ところが、最初の入学時健康診断で、心臓に問題があり通常の体育の授業も受けらない状態であることがわかりました。確かに、高校三年生の頃から痩せてきて体調があまり良くなく、受験勉強のためだけではなかったようです。さらに、高校時代は自信のあった理数系の科目がさっぱりわからず、だんだん自信を喪失してゆきました。それやこれやで、また、慣れない一人暮らしの無理がたたったせいか下宿で寝込むことが多くなり、六月の後半には、夜中に呼吸ができなかったり、味覚が無くなり塩味しか感じられなくなったりしてきました。今だったら、コロナを疑うような症状です。このとき、たまたま父が東京に来る機会があり、私の様子がおかしかったため、急遽実家に連れ戻されました。近くの病院の診察で、肺炎、十二指腸潰瘍など五つほど病名をもらい、七月八月はずっと実家で寝ていました。 九月になって多少回復し、期末試験のため東京に戻りましたが、たいへん暗鬱な気分でした。その後も一年以上味覚は元に戻らず、精神的にもひどく不安定で、自己嫌悪と意味のない虚勢との間をふらふらし、自分自身の弱さを痛感した時期でした。
 先に書きましたように、教養前期課程では、高校までは得意だった理数系の講義、特に微積分学の講義はさっぱりわからず、授業が苦痛にすらなっていたのですが、逆に苦手だった文系の国史、教育学、心理学、社会思想史などにはとても興味をひかれ面白く感じました。中でも、国史の笠原一夫先生の講義は圧巻で、ご自身の体験を交えながら、浄土真宗の宗祖である親鸞を中心に女人往生の系譜について、滔々とユーモアと箴言にあふれる講義をされ、毎回楽しみにしていました。本郷に進学後に家族や自分自身の問題で色々と考えることがあった折に、ふと笠原先生の講義を思い出し、何度となく引用された「歎異抄」を読んで深く感じるものがありました。笠原先生はしばしば「(自分の講義は)ざるに水を注ぐようなものだが、水垢くらい残ればよい」と言われていました。私のざる頭にも水垢程度は残ったようです。教育学を担当された先生は、失礼ながらお名前を忘れてしまいましたが、とても穏やかな口調で「教育とは人を人となすものです」と繰り返しておられたのが記憶に残っていますし、心理学のゼミでは具体的な実験を通じて単なる机上の理論ではないことを学んだように思います。また、もぐりの学生として「たて社会」の研究で有名な中根千枝先生の講義を聞いたりもしていました。
 本郷に進学すると、ほとんどの講義は専門的で目的や目標もはっきりしたものになりました。当時は、物理工学科は、数理工学、計測工学と共に応用物理学科の一コースであったため、私たちも数理工学や計測工学の講義を受講することができました。専門とは少し離れた分野を自然に学ぶ機会があったことは、後の研究・教育生活に少なからず良い影響を与え、幸運なことだったと思います。その後、良い指導者、友人、先輩後輩に恵まれ、色々と不思議なご縁があって駒場に戻ることになり、数理科学研究科の一員として教養時代にあれほど苦手だった微積分学を教える立場にもなりました。本当に不思議なご縁としか言いようがありません。教える立場になってはっきりと自覚しましたが、高校までのいわゆる受験数学と、厳密性と論理性を第一に考える自然科学の基礎としての数学の違いに気づいてもらうことが、教養課程での数学講義の重要な目的のひとつです。他の科目についても同様でしょう。その意味でも、教養課程では、すばらしい授業をたくさん受けることができたと思います。
 一九四九年に新制の大学制度が始まった時、全国の大学の中で東京大学だけが唯一独立した教養学部を設置し、リベラルアーツの精神を教育の根本に据えました。その後の大学改革でほとんどの大学の教養部が廃止され、早期から専門性を重んじるカリキュラムに移っていったと聞いています。無駄に見える回り道をせず専門に入る、ということかもしれません。しかし、東京大学は教養学部を維持し、その設立の精神を守り、現在もその精神に則って教養課程の教育が行われています。少なくとも私はそう感じています。昨今、改革の名のもとに無駄を廃する議論が盛んに行われているようです。一見合理的なようですが、その中には、時間軸を考えない近視眼的な、あるいは単なるポピュリズムの視点からの議論も少なくない気がします。東京大学の、特に駒場キャンパスの構成員の皆さんには、これからも教養学部設立の精神を守り育てていっていただきたいと、心から願っています。

(数理科学研究科)

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