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教養学部報

第634号 外部公開

<送る言葉> 足立信彦先生を送る

石田勇治

 足立信彦先生が駒場に赴任されたのは一九九〇(平成二)年。その少し前にベルリンの壁が突如開放され、東西ドイツが一気呵成に統一へと動き始めた頃だ。ある高名な独文学者をして「遥か遠くの的を驚くほど精確に射抜く文学研究の名手」と言わしめた若き俊英に、初めてお目にかかったのは、そんな高揚感に包まれた「ドイツ語教室」の月例会議だったと思う。それから三十有余年、足立先生には同僚として、友人として懇意にして頂いた。この場を借りて心より感謝の意を表したい。
 足立先生は著名な独文学者である。だがその問題意識と射程の広さは尋常ではない。精密なテクスト分析を武器に種々の言説を、時空を超えて縦横無尽に論じる様は、史料に依存する私のような者には及びもつかない神業の域である。聞けば足立先生は幼い頃から本好きで、本とともに成長したような文学青年だった。若くして文学の歴史性・政治性に気づき、十九世紀ゲルマニスティークの本質に突き当たって悩み、その苦渋を現代世界が抱える問題と重ね合わせて見事に昇華したように思う。著書『「悪しき文化」について』(東京大学出版会)は、多文化主義の功罪がしきりに語られた世紀転換期にあって文化相対主義の陥穽をヨーロッパ近代の文学テクストに遡って糾明したものだ。副題に「性・所有・共同体」と銘打った一連の論文(紀要『オデュッセウス』に掲載)とともにドイツ文学・文化研究の新境地を拓いた傑作である。
 そんな足立先生にもいつかの真っ赤なフェラーリのように人をドキッとさせる趣味がおありのようだ。先生にとって駒場の同僚諸氏とカリブに研究旅行に出られたことが一大転機となったようだが、内向性の強いドイツ文化研究を一気に世界に開かれた学際的地域文化研究へと広げてくれた。先生は多くの優れた後進を育てられたが、時折同席した論文指導や面接の場で、具体と抽象を往復しながら問いを重ねて相手の気づきを促すご様子は、私にとっても大いに刺激的だった。
 同僚や学生との集まりでいつも穏やかでにこやかな先生の姿が忘れられない。若気の至りで厄介な問題に巻き込まれた学生に親身に寄り添う先生の姿もそうだ。ただここで特筆しておきたいことは、一九九〇年代前半に駒場を襲った大学改革の嵐の中で、足立先生が文系諸専攻の再編という大仕事に若手教員として関わられたことだ。教養学科で育ち、教鞭をとる者の責務だと思われたのであろう。請われたとはいえ、大変な労力と時間を費やして今日の地域文化研究専攻の土台を築いて下さった。さらに現在のグローバル地域研究機構ドイツ・ヨーロッパセンター(DESK)の立ち上げに人一倍尽力されたのも足立先生だ。当時を知る者として感謝の思いを込めて明記しておきたい。
 足立先生、長い間ご指導、ご鞭撻、ありがとうございました。これからも益々のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

(地域文化研究/ドイツ語)

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