HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報634号()

教養学部報

第634号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場の未来と立地論

松原 宏

image634_03_1.jpg  二〇五〇年を展望した本『日本の先進技術と地域の未来』の編集で頭がいっぱいなせいか、このようなタイトルとなった。二○五○年の駒場は、どのようなキャンパスになっているだろうか。建物は建て替わり、「スマートキャンパス」になっているかもしれないが、イチョウ並木は、相変わらず、前期課程の学生がにぎやかに行き交う様子を見下ろしているようにも思える。新型コロナの影響でまだ少ないとはいえ、前期の学生の元気な声を聞くにつけ、駒場の未来は明るいとの思いを強くする。
 それに引き替え、私が専門とする経済地理学、なかでも立地論は、教える教員が「絶滅危惧種」になり、将来が危ぶまれている。その立地論を私自身は、一九九七年に駒場の教壇に立って以来、前期課程の学生に教えてきた。同心円、三角形、そして六角形を黒板に描きながら、産業と空間の関係を説明してきたが、新入生の好奇心旺盛な質問にいつも鍛えられてきた。とはいえ、前期の授業は人気の授業がひしめいていて、著名な先生方の授業に正面からぶつかってもかなわないので、「多摩地方の天気が快晴の日にしか出席をとらない」とか、親父ギャグを連発することで、人目を引こうとしてきた。たとえば、農業立地論の基礎を打ち立てた人物の名前を、試験の時に思い出せなかったら、私の顔をみること(正解は、チューネン)などなど、最近では自分でも恥ずかしく、ギャグを飛ばすことは「自粛」している。
 在職二五年の中で、学生委員会に関わることが多く、教職員の皆様には、大変お世話になった。東京では、入試の朝が雪になることは珍しいが、委員長の時に当たったことがある。副研究科長をはじめ、いろいろな役職を務めてきたが、特に印象に残っているのは、二〇一〇年に後期運営委員長として、後期課程改革に関わったことである。文部科学省に提出する書類を作成して、東大本部の職員の方にみてもらったところ、真っ赤になって戻ってきたことは、今も忘れられない。何度も直してやっとできあがった書類を文部科学省に説明に行って認められたが、それが現在の教養学部の三学科体制で、教養学科、学際科学科、統合自然科学科になるまでに、いろいろと大変な会議があった。
 文系、理系、文理融合の三つのグループの会議に出る羽目になり、会議をかけもちすることも少なくなかった。とりわけ旧文系三学科を教養学科に改組する文系の会議では、議論が紛糾することがしばしばあったが、日頃はおとなしい副委員長がめずらしく大きな声を張り上げられ、それ以降議論が前進していったことを思い出す。文系では教養学科に一本化する一方で、いくつかの新しいコースができ、優秀な学生が育ってきたことを耳にすることがあり、あながち無駄な会議ではなかったように思う。
 文理融合の学科名をどうするかという点も問題で、融合学科とする案が僅差で敗れて現在の学際科学科となった。あわせて旧分科の名称変更も求められ、私の所属する人文地理は、地理・空間コースに看板を変えることになった。この変更は、進学振り分けに思いもせぬ効果を発揮し、ある年には、内定生二名といった危機的状況が、今や毎年一〇名、東大全体でも進学が難しいコースの一つになっている。
 人文地理分科から地理・空間コースに名称変更となっても、フィールドワークを重視する伝統は受け継がれている。私の担当は、調査の準備をする実習の授業も含めて、いつも内定生で、赴任当初の静岡県を皮切りに、隔年で時計回りに県を変えて、三月に三泊四日で現地調査を行い、報告書を作成している。毎夜、ミーティングを遅くまで行うが、他の人文地理の先生と違って、私の場合は、勉強の方は極めて短く終了し、「とっておきの話」を一日に一話、三晩にわたって披露してもらうことを常としてきた。高校時代の失恋の話などに、ついつい教員が引き込まれ、翌日の調査先で眠気に襲われることがしばしばであった。
 ところで、昔の定年の六〇歳をこえ、教育や研究とは別次元の世界に、身を置くことにした。それまで総長室がどこにあるかも知らなかったが、東京大学と三重県との連携など、東大の地域連携のお手伝いをさせていただくことを申し出て、本郷、柏の各部局の研究科長を訪ね、二〇一八年四月に地域未来社会連携研究機構の設置にこぎつけた。
 地域未来機構の大きな特色は、三重県と北陸にサテライト拠点を置いていることにある。拠点の配置には、立地論が活かされており、三重サテライトは、大学間の「すきま立地」の考え方に基づいている。北陸サテライトは、知る人ぞ知る石川県白山市の白峰という地に設けている。近くに温泉がある築百年の古民家を改修したものだが、一階でワークショップ、二階に教員や学生が滞在できるように仕立てるのに随分と苦労をした。このサテライトでのんびり過ごすことをねらって設けたものの、忙しくなかなか本来の目的を果たせないでいる。退職後は、サテライトの「管理人」となり、駒場の未来を夢みることにしたい。

(広域システム科学/人文地理学)

第634号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報