HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報634号()

教養学部報

第634号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場での思い出

楊 凱栄

image634_04_1.jpg なぜ東大出身でなく、しかも外国人の私に白羽の矢が立ったのか不思議であった。今はすでに東大の名誉教授となったK先生からの一本の電話で、私の人生は急転換し、一九九五年から駒場で二十七年間教鞭をとることになった。当時は今のような公募ではなく、面接らしきものもなかった。そのかわり、中国語部会のW先生がわざわざ九州まで面会に来て下さり、それが面接代わりだった。
 こちらに来た当初は千葉の稲毛にあった公務員宿舎に三年間住んでいた。一年目は授業のコマ数が多く、駒場への通勤は往復で三時間ほどかかったので、一限の授業ともなると通勤だけでへとへとの状態であった。加えて、幼稚園年長組の長男の送り迎えと、四月に生まれたばかりの次男の世話に追われる毎日が続き、大変だった。妻が産後間もないため私が食事の準備で買い物に出かけたのだが、家の前で井戸端会議をする公務員の奥様達の前を通ると、いつも不思議そうな目で見られてなんとも言えない気持ちであった。
 教育に関しては多くの思い出がある。まずはなんと言っても学生の試験に対する心構えと学習能力の高さだ。駒場に来た翌年に、一年生の中国語の授業で、小テストでさえも鉛筆の束と目覚まし時計をテーブルに置いて臨む学生がいたことには驚いた。また期末テストでは一時間の回答時間を設けたが、ほとんど全員三十分以内に終了し、しかも多くの学生が高得点だったのには閉口した。
 他にも、学部生と食材などを背負って二時間かけて那須の山奥まで登り、電気のない場所で合宿を行ったことも鮮明に覚えている。自炊も含めてハードな作業だったが、今となっては楽しい思い出である。山頂にある露天風呂から眺めた満天の星が脳裏に焼き付いていて、今でも忘れられない。
 前期、後期、大学院の三層構造をもつ駒場で教えるということは体力的にも精神的にも大変きついことではあるが、それ以上に駒場は刺激的で、やりがいのある場所である。「負うた子に教えられて、浅瀬を渡る」というのはまさに自分のことを言っているようだ。私の研究テーマも学生の質問からヒントを得て発展したものが少なくない。学部生や院生たちといつも互いに知的な刺激を与え合うことができる点も駒場で長く教鞭を取る原動力となった。院生たちとのゼミ合宿や我が家でのオープンハウスはほぼ毎年の恒例行事となり、こうした交流を通じて、私としても多くのものを得た。今や元院生の多くはそれぞれの分野で活躍しており、私の還暦の際には還暦論文集を企画し出版してくれた。まさに教師冥利に尽きる。駒場という環境があったからこそ、このような出会いに恵まれたのである。
 駒場では学生だけでなく、同僚にも恵まれていた。9号館にある二人用の研究室で授業の後、K先生とコーヒーを飲みながら、いろいろ語るのが至福の時間だった。その後、フランス人のL先生もメンバーに加わり、中国語部会はいかにも駒場らしい多様性のある空間へと変わった。部会では教科書作成のため温泉合宿などもあり、また部会の後も延長戦で居酒屋へと流れ込んだのもいまでは考えられないことである。部会や専攻などのいくつかの科研プロジェクトに参加し、充実した研究生活を過ごすことができた。自分がこうして無事に定年まで駒場で勤め上げられたのも多くの人の支えがあったからである。
 学内業務に関しては一通りやったが、最も忘れられないのは学生委員を務めていた時期だった。私が学生委員を務めた期間はちょうど駒場寮が問題になり、教授会でも寮問題で多くの時間が費やされ、学生委員は土日でも動員されていた。寮の出入り調査の際に寮生から、外国人のあなたが日本の政治活動に干渉するなと言われ、身分上言い返すこともできず、我慢していたのがつらかった覚えがある。学内業務でもう一つ記憶に残ったのは教務委員としての仕事だった。定年を翌年に控える先生の担当コマ数を他の先生と同じように配分したところ、「楊君、定年前の人に対して配慮はしないのか」と怒られた。定年前にコマ数を減らすという規定はなかったものの、いま自分も定年を迎え、今年度のカリキュラムを見て、その気持ちは痛いほど分かった(そういえば、サバティカルで、客員研究員としてスタンフォード大学に滞在したときに感じたことであるが、同じ文科系の教員でも、向こうは雑用に追われず、コマ数も少なく、研究に専念できる環境にあるように思えた。隣の芝生は青いだけなのだろうか)。その意味で、定年前の人については、コマ数を一つ減らして気持ちよく定年してもらうというルールを作ってもよいのではないかというのが経験者としての正直な気持ちである。
 つらつらと駒場にいた二十七年間の印象に残った出来事を書き下してみたが、あっという間の二十七年間であったことを改めて実感する。
 定年真近になってコロナが発生し、キャンパスの風景が一変してしまったのは非常に心残りである。コロナ禍でも時々キャンパスに来ていたが、こんな静かな駒場を今まで見たことがない。キャンパスに学生がいないのは寂しい限りなので、一日も早く賑わいを取り戻してほしい。そして定年後はその賑わいのある駒場を再訪したい。その時はルベソンベールでランチを楽しんでから、雪化粧の富士山を18号館の九階から眺めたい。

(言語情報科学/中国語)

第634号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報