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教養学部報

第634号 外部公開

普遍人類学に向けて

金子邦彦

 恒例の「駒場をあとに」を脱稿し終えたところに学部報編集部から、複雑系理論からの人類学の研究について書いてほしいというお達しである。寄稿したら、「あとに」しなくていいのかもと色めきたった(?)のであるが、残念なことに編集部委員会にはそのような権限は賦与されていないようである。
 といっても、本稿の内容はひとえに、昨年度総長賞を受賞した板尾健司さんの研究成果なので、私がなにか言える立場にはない。私の方は、これまで普遍生物学の研究を進めてきた。生命システムは分子、細胞、個体、生態系といった階層性を有する。その階層の上下をマクロ、ミクロとすると、各レベルの要素は変化し増殖もするにもかかわらず、生命システムではマクロとミクロの間の整合性がとれて安定している。その特徴に着目し、生命の増殖、適応、分化、進化の一般的性質や法則を見出してきた。
 もちろん、人間集団も、家族、(親族)共同体、国家といった階層をなし、変化していく。すると、普遍生物学で進行中の考え方は人間社会の普遍的構造の理解につながらないだろうか。以前からそう考えてきたものの具現化せずにいた。そこに板尾さんが、大学院で、普遍生物学ならぬ普遍人類学を研究したいとやってきた。通常の教員なら無茶だよ、とたしなめるのかもしれないが、そういう大胆さはむしろ応援したくなる。私自身、四十三年前、大学院入試面接で、統計物理から生命の理解を目指したい、と当時としては大胆なことを言ったつもりが、審査員のひとりに、人間社会は?とふられ、それは......と答え淀んでしまった記憶がある。ちなみに、六年後、その伊豆山先生に駒場に助手で雇っていただき、四十年後に先生の米寿の会で、やっと歩み出せましたと、板尾さんとの研究を報告することになる、とは当時むろん想像する由もない。
 閑話休題。階層性を持った社会システムの普遍的性質と言うだけでは抽象的すぎる。板尾さんと話していて、文化人類学の親族構造に狙いをさだめては、となった。レヴィ=ストロースの研究で名高い、集団間の婚姻・親子関係にみられる規則である。
 まず、集団内の各自が形質とどの婚姻相手を選好するかのパラメタを持つとする。ここに二つの社会的動因を導入する。第一に形質の近い同胞、そして配偶者側との協力関係である。ただ、これだけではひとまとまりの集団ができるだけである。次に、選好が近い婚姻上のライバルとの間の競合を考える。人口成長率は協力で増加、競合で減少する。この協力の必要度と競合度を外部パラメタとして、成長率に応じて子孫が生まれ、その形質、選好のパラメタは親からわずかな変異を伴って子供に伝わるという進化シミュレーションを行った。その結果、協力度と競争度が十分に大きいと、同じような形質を持った集団から、いくつかのグループが分化して、各グループ内での婚姻は行われず、他グループとのみ婚姻するという規則が自発的に生成された。競合がそれほど強くなければ、二集団が形成され互いに花嫁をやりとりする双分組織が生じ、父親の姉妹と母親の兄弟の間の娘との双方交叉イトコ婚が選好される。競合度が増すと三以上の集団で間接的に花嫁をやりとりする一般交換、さらには直接のやりとりをしつつ親子で属する集団を異にする限定交換が生じる。これらは文化人類学で報告されてきた親族構造である。物理では温度と圧力を変えると固体、液体、気体という相変化が生じるけれども、ここでは協力度、競合度を変えていくと、異なる親族構造が生起するのである。いまのところ社会での協力度、競合度は温度や圧力のようには測れないけれども、これらを社会のデータベースから推定すると理論結果と整合している。
 さて、この論文を板尾さんは修士一年夏に仕上げてしまった。そこで次のターゲットとして家族形態をとりあげることにした。前近代の農村社会の家族では子供が結婚後すぐに親元を離れる核家族と、結婚後も親元に残る拡大家族という分類があり、遺産分配に関しては、嫡子の独占的相続と、平等分配の場合がある。結果2×2の基本的な家族形態が存在する。遺産分配が不平等な絶対核家族(イギリス等)、平等な平等核家族(フランス等)、拡大家族に関しては遺産分配が不平等な直系家族(日本、ドイツ等)、平等な共同体家族(中国、ロシア等)である。これらは歴史学、人口学で注目されている基本形態である。
 そこで、子供が親元を離れるタイミングと遺産分配の平等性を表す二つのパラメタを家族が有するとして、進化シミュレーションを行ってみる。ここで土地資源の競合、家族の労働量の増加による生産量の収穫逓減、富から子供の数へのフィードバックを導入する。そして、社会内の利用可能な土地資源と、外部擾乱による富の流失を外部パラメタとして、それに応じてどの家族形態が優勢になっていくかを調べた。シミュレーションの結果、土地資源が多いと核家族が、少ないと拡大家族が、そして擾乱が多いと平等な遺産分配が、少ないと嫡子相続が進化することが見いだされた。この結果は農耕開始以来の期間が長い地域での拡大家族、戦乱や伝染病の多い地域での平等分配といった傾向を説明する。さらに拡大家族が多い社会で貧困層が厚くなり、遺産分配が不平等な社会で富裕層が厚くなることも示された。これはエマニュエル・トッドが議論した家族形態と社会イデオロギーの関係を説明する枠組みを与える。
 さて、この先には?ミクロ=個人(家族)レベルとマクロ=社会レベルの連関に注目して、社会の宗教的・政治的・経済的構造とその起源を解明する「普遍人類学」を目指せないだろうか(といっても僕は「あとに」なので板尾さんに乞うご期待)。
付記:本稿は板尾さんを共著にすべきところ、学部報は現役教員しか執筆できないとのことである。すると、本稿をもって、僕も「学部報をあとに」しないといけないようだ。先月号の題に倣うと「やっぱり学部報が好き」なので、寂しいのだけれど。

(相関基礎科学/複雑系生命システム研究センター/生物普遍性機構)

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