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第634号 外部公開

<駒場をあとに> ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず

長谷川まゆ帆

image634_05_1.jpg 駒場に着任したのは三七歳のときで、あれから二八年が経つ。最初は自分の居場所が見つけられず、途中下車を試みたこともあった。しかし何事も覚悟を決めると周りの景色も変わってくるもので、もうしばらく旅を続けてみようと思うようになった。その後、同僚であれ、学生であれ、若い人たちとの関りが増えるにつれ、新しい風も吹いてきて、日々のミッションも研究も、そして法人としての東大のゆらぎも、結構、楽しんでいたのではないかと思う。
 いつかこの世を去るときに、「あなたは駒場を楽しみましたか」と誰かに聞かれたら、「ええ、もちろんです、あそこにいたときに、いっぱい学びましたよ、すばらしい人たちにも出会えました」と笑顔で答えるだろう。終わり良ければすべて良し。同じ時期にいて、手をさしのべ、わたしを生かしてくださったすべての教職員のみなさま、学生たちも含めて、どうもありがとうございました。ご一緒できて、とても幸せでした。
 一昨年七月末に『駒場の70年』の依頼原稿「人文科学系」を書き、つい最近では地域文化研究専攻の紀要「Odys­seus」に恒例の退職者エッセイを脱稿したばかりで、部会や専攻、コースのことなど書けることはそこにほとんど書いてしまったから、正直もう何も残っていない。締め切りがほぼ同じ時期だったのも運のつきで、同じことをまた書くのも憚られる。長谷川の語る東大の思い出―ろくでもない雑談ばかり―にご関心のある方は、コーヒーブレイクにでもそちらを覗いていただければと思う。ここでは、それゆえ、どこにもまだ書いていないこと、とくに最近関心を抱いている研究のことなどに触れ、お別れの言葉に代えようと思う。
 実は、このAセメスターの大学院演習でとりあげているテーマは、一八世紀パリの同性愛の歴史である。といっても、まずは「男性を愛する男性たち」のお話である。一九世紀については、二千年代に入ってから良書が次々に刊行され、開拓も進んできているが、一八世紀となるとそうでもない。そもそも一八世紀までは「同性愛」という言葉も概念もなかったからである。
 しかしどの時代にもシスジェンダーしかいなかったわけではない。「トリバド」「エルマフロディテ」という言葉は存在した。それに一九八〇年代の初めから一九九〇年代にかけて、ジャン=ルイ・フランドランのもとで学んだミシェル・レという若い研究者が、バスティーユ文書(警察史料)を基にした一八世紀パリの「ソドミ」「ペデラスト」に関する研究論文を何本か発表していた。しかし残念ながらレは一九九四年に志半ばにして亡くなり、それ以後、彼の仕事を引き継いでこのテーマに真正面から取りくむ人がいなかった。
 それが昨年、アメリカの研究者で一八世紀の政治文化史を専門とするフランス史研究者ジェフェリ・メリク氏により、この問題に関する手堅い研究書が出版された。メリク氏は、この十年ほどの間にミシェル・レの研究のリヴァイズに挑み、警察史料をくまなく探して読み直し、史料の限界と可能性を明らかにするとともに、レの当時の思い込みや解釈の未熟さをつぶさに洗い出した。それは、レの勇気を貶めるためではなく、この問題を改めて全体史の中に位置づけて議論を発展させていく意図からである。大学院の演習ではこのメリク氏の新刊を学生たちと読んでいる。
 わたし自身は、一九九〇年代以降、駒場の内外でたくさんの貴重な出会いがあり、このテーマに関わって多くの学びを得てはいたが、長い間、自分をシスジェンダーだと思い込んでいて疑わなかった。だからミシェル・レの研究にも出会えなかったのである。一九八〇年代に研究を始めたときも、性科学や異性装の問題には関心を抱いたが、フランス近世史を扱うにあたっては、「女と男と子どもの関係史」を標榜し、二元的なカテゴリーの前提を疑うことなく性差の歴史学を考えてきた。
 これは当時の認識としてはしかたのないことであったが、しかし、ここにきて、それではまずいのではないかと思い始めている。性差は男と女だけではなく、レズビアンやゲイ、バイ、トランスという領域があり、さらにいえば、そのカテゴリーにも収まらない無数の性があることが、いよいよ明確になってきている。無自覚でいると、知らぬ間に誰かを傷つけ、抑圧してしまう。その抑圧は自分にも及ぶ。生物としての機能と性自認がずれることは前々から意識していたが、問題はもっと複雑で、その多様性を考慮しないで歴史を見ていくことは、研究者として怠慢でしかない。少なくとも自分の認識を問い直すことから始めたいと思っている。
 Sセメスターの歴史Iの授業の終わりに、学生とオンラインで雑談した際、ある新入生から「先生は東大に来た頃と今の自分が同じだと思いますか」と聞かれて、「いやいや、全然違うと思いますよ。ずいぶん変わってきたんじゃないかな」と答えた。変わらないことがいいことだと思っている人は少なくないが、わたしはむしろ自分が変わっていくことに喜びを感じてきた。あの頃の認識からはずいぶんはみ出してきたにちがいない。でも、今の方がはるかに自由で楽しい。
 ちなみに、人間の細胞は常に外から摂取した栄養によって組み替えられ、一年もすると古いものは全部排出されて入れ替わる。骨だって三カ月もあればすっかり新しくなる。わたしの体も外から摂取したものでできていて元の体ではない。にもかかわらず、意識の連続性があると思うのは、おそらく記憶という虚妄のしわざだろう。
 その記憶もここでの三十年近い経験のなかで絶え間なく入れ替わっていたにちがいない。わたしもまた水のような流動体であり、まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」である。これからも新しい水やミネラル、栄養素が細胞となり古いものが排出されて絶えず刷新されていくだろう。というわけで、みなさまどこかでまたお目にかかりましょう。どうぞお元気で。

(地域文化研究/歴史学)

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