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教養学部報

第634号 外部公開

<送る言葉> 長谷川まゆ帆先生を送る

原 和之

 この十二月に刊行された『駒場の70年』(東京大学出版会)に、長谷川先生は「人文科学系」という題の一文を寄せられている。一九九四年四月の駒場ご着任以降の実体験に根ざした貴重な証言で、大学院重点化前の「アンシャン・レジーム期」から今日に至る駒場の大きな変化のなか、先生がこれをどのように受け止め、また対応されてきたかが克明に記されており興味が尽きないが、とりわけ印象に残ったのは、文書化の意義と民主的な体制の重要性について述べていらっしゃる箇所だった。
 専門分野は異なるものの、同じ地域を専門とする同僚として後期課程・専攻でご一緒するようになってかれこれ十年以上になるが、そのなかで常に感じてきたのは、お書きになったものを通じて思い描かれるその人となりと普段のご様子の印象が、これほどぶれない方も珍しいのではないかということだった。さまざまな分野への弾むような好奇心にせよ、快活で歯切れのよい語り口にせよ、また必要と思われたときの介入の思い切りの良さにせよ些かも変わりなく、これにはおそらくご専門が歴史のなかでも日常に近いところを対象にされているということもあるのだろうが、それ以上に先生が学問からくみ上げてきたものを日々の生活に投入し、またその生活から沸き起こる問題意識を研究に反映させ、という行き来を繰り返して来られたことが、その背景にあるのではないかと想像している。
 歴史は現在を相対化する視点をもたらし、それによって究極的には人間に自由をもたらすはずのものだ、と長谷川先生は折に触れて書かれている。そもそも歴史は変化に満ちており、その限りで長谷川先生に変化それ自体を断罪するような見方は全くない。ただその変化が、旧来の慣行の中で、「以心伝心」や「あうんの呼吸」で行われるときに起こりかねないこと、そして実際に起きてしまったことを長谷川先生は憂慮されているのであり、それが『駒場の70年』でのご指摘につながったのだと思う。
 同じ文章のなかでも触れられていた、きわめて女性教員の少ないホモソーシャルな環境も、構成員の同質性が前提となるそうした慣行の存続の一因であっただろう。この点はご着任直後の極端な状況から、その後少しずつ改善されてきているとは言えるだろうが、なお残る旧弊を前に長谷川先生が粘り強く、ときにパッションを込めて理を説かれる場面には一再ならず遭遇したし、先生のご指摘に我々自身がそうした慣性のなかにいることを気づかされ、襟を正さざるを得ないということもまたあった。さらに、数少ない女子学生にとっては港でも灯台でもある存在として、長谷川先生の厳しいながらも温かいご指導からは、彼女らを含む多くの優秀な学生が育ってきている。このたびご退職に際して、フランス科における長谷川先生の存在の大きさを改めて実感しているが、いずれにしてもご在職中直接間接にいただいた教えを手がかりに、よりよい変化を支えてゆくことができればと考えている。
 長谷川先生、長い間お世話になりました。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

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