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教養学部報

第634号 外部公開

<駒場をあとに> 地震・料理・微積分・オンライン講義

金井雅彦

image634_07_1.jpg 名古屋大学から東京大学への異動をほぼ二十日後にひかえ、その日わたしは駒場キャンパスにある数理科学研究科棟を訪れていました。着任後使用する予定のオフィスはすでに用意されていました。その日駒場を訪れたのは、そのオフィスに若干の荷物を運び込むとともに、着任後使う机などの什器の手配をするためです。遅めの昼食後、数理棟のコモンルームで、研究科の准教授A先生と雑談をしていたときのことです。いままで経験したことのない大きな揺れに突然見舞われました。そうです、その日こそ東北地方を例の大震災が襲った日、二〇一一年三月一一日でした。キャスター付きの椅子に座っていたため、椅子ごと自分も床を左右前後に滑ります。窓から見えるマンションの屋上に設置されている給水タンクもいまにも落下しそうな勢いで揺れています。しかし、極めて大きな揺れは感じるものの、細かい振動はほとんど感じられません。恐らく震源地は遠方なのでしょう。その日もわたしの家族は名古屋にいます。震源地が一体どこなのか、気が気ではありません。ただちにネットで確認したところ、震源地は宮城県沖合とのこと、家族に関する心配は不要となりました。しかし、その後に見たテレビのニュースでは、ヘリコプターから撮影したのでしょう、津波が集落や農地を飲みこんでいく映像が映し出されていました。多数の人々の命もまた同時に失われていったはずです。何の言葉もありませんでした。
 本来の予定では、その日に名古屋に戻るつもりでした。しかし、新幹線も運休、それどころか、井の頭線も止まったままです。いたしかたなく、四月から使う予定のオフィスにぽつんと置かれていた事務用の椅子に腰をおろし仮眠を取りました。わたしが名古屋に帰り着いたのは、震災翌日のことでした。
 その後福島での原子力発電所の事故が明らかになります。わたしが東大に着任する四月一日になっても、まだ事故がどこまで拡大するか定かではありませんでした。単身赴任を予定していたことが、いくらか気を楽にしてくれました。東京でのひとり暮らしのために注文していた寝具なども予定通りには配達されません。寝袋や懐中電灯・カセットコンロなどを手に、ひとりで東京に向かいました。
 わたしの東京でのひとり暮らしは大きな混乱の中でこうして始まりました。しかし、幸いなことに、人々の、そしてわたし自身の生活も徐々に平穏を取り戻します。
 ところで、単身赴任のわたしは家事もすべて自分でこなさねばなりません。しかし、幸いなことに、それはさして苦にはなりませんでした。それどころか、料理は大いに楽しみました。古い友人や学生達を拙宅に招き、一緒に食事をしたりもしました。例えば、二〇一八年一〇月のある日のそんな食事会の献立は─いちじぐの白和え・桜エビのだし巻き玉子・豚の角煮・白身魚のかぶら蒸し・揚げ出し豆腐きのこあんかけ・自家製薩摩揚げ・芋煮・銀杏の炊き込みご飯。どうです、美味しそうではありませんか? その後、みんなで栗の渋皮煮のパウンドケーキを焼いたりもしました。わたしにとってはかけがえのない思い出のひとつです。
 ところで、東京大学の教員を勤める上での最大の楽しみは何かと問われたときに、皆さんはなんとお答えになるでしょう? 大いに迷う質問です。しかし、やはりわたしは「学生との付き合いが何にも増して楽しい」と答えるのではないかと思います。わたしが所属する数理科学研究科は、教養学部一、二年生の教育も担当しています。わたしもほぼ毎年度、理系一年生向けの微積分の講義を担当しました。言うまでのもなく、東大の学生は極めて優秀です。それに加え、知性に裏打ちされた人間的魅力も持ち合わせています。彼等との雑談も大いにわたしを楽しませてくれました。そんな講義を通じて知り合った学生との付き合いが、その後も長く続くことがときにあります。これもまたわたしが駒場で得た楽しみのひとつです。
 わたしの駒場での日々はこうして楽しく過ぎていきました。ところが、二〇二〇年になって再び暗転します。コロナ禍の始まりです。二〇二〇年三月中旬に、突然大学からメールでの連絡がありました。その四月から始まる学期の講義はすべてオンラインで実施するとのこと。どうやったらそれが実現できるのか、まったく見当もつきません。慌てて準備を始めました。なんとか始めたオンライン講義、最初の数週間は「生放送」でした。しかし、その後学生からの要望に応える形で、オンデマンド配信を開始。稚拙ながらもビデオ編集も手がけるようになりました。(話は脱線しますが、その技術が後に役に立つことになります。今年度のオープンキャンパスでは、ビデオ講義を配信しました。YouTubeでわたしの名前を検索して頂ければ、そのビデオにたどり着けるはずです。)駒場でのわたしの最後の講義が対面でないのは極めて残念ではありますが、致し方ありません。一日も早くコロナ禍が過ぎ去ることを祈って筆を置くことにしましょう。

(数理科学研究科)

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