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教養学部報

第634号 外部公開

<送る言葉> 心の源流を求めて

結城笙子

 岡ノ谷先生が駒場に着任されたのは二〇一〇年ですから、もう十一年が過ぎたと思うと時が経つのは本当に早いものです。当時は新しい研究室ができるということで、三年時での研究室配属を控えた先輩たちが偵察に出ては「新しい先生の授業面白いぞ」「でも居眠りしたやつマジ切れされてたぞ」など情報交換していたことを覚えています。面白い授業ならばと眠気予防にコーヒーをがぶ飲みして受講した勢いのまま、研究室配属、学位取得、共同研究と先生には現在に至るまで本当にお世話になっております。感謝してもしきれません。
 このまま最後まで紙面を思い出と感謝で埋めてしまいますと、来年からも客員教授として駒場にいらっしゃる予定の先生と気恥ずかしくてお会いできませんので、以下では先生の研究とお人柄を、僭越ながら私なりの表現で紹介いたします。
 岡ノ谷先生は、様々な研究対象と計測手法を駆使して、ヒトの「心」はなぜ、どのようにして生まれたのか、という問いの答えを長年追い求めてこられました。心を直接観測することは困難ですが、これもヒトが生物として適応と進化の過程で獲得した機能の一つであると見なせば、研究の俎上に載せることが可能になります。先生は、心を「各個人が持つ時間的にある程度一貫した行動決定則」と操作的に定義し、その機能を自他の行動を予測可能な、つまりある程度法則性のあるものに仕立てることだと考えられており、この仮説が先生の研究を非常に際立ったものとしています。
 少し詳細に述べますと、ヒトのように多数の個体が複雑に関わり合う集団を維持するためには、周囲の他者の行動を予測し、それに応じて自分の(時には他者の)行動を制御する必要があります。加えて、他の構成員も同様に他者の行動予測に応じて行動を制御するだろうという期待が共有されなければなりません。でなければ、集団での狩猟等の複雑な共同作業は成立しないでしょう。逆に言えば、各個体が心を持つことは、集団内で互いの行動を予測可能なものとし、複雑な共同作業を可能にすることで、集団全体の適応度に貢献するだろうと考えられます。
 私はこの仮説を上述の講義で聴講した際に、仮説自体はもちろんのこと、非常に研究が難しいテーマに貪欲に食らいつく先生の研究姿勢と、そして何より学生が未熟でも自分の意見を持ち、表出することに非常に寛大な態度を示されたことに感銘を受けました。というのは、当時私は他者とのかかわりあいを効率化・円滑化するために心が生まれた、という話に納得できずにつたない屁理屈で食って掛かったのですが、それを先生は大変歓迎してくださいました。研究室でも学生の興味や意見を尊重する姿勢を貫かれ、我々学生がやりたい実験をできるように、本当に心を砕いてくださいました。この姿勢を貫く難しさは自分が教員側に立った昨今痛感しており、改めて先生の偉大さに感じ入る次第です。
 最後になりますが、先生は進化認知科学研究センターや心の多様性と適応の統合的研究機構(UTIDAHM)の代表を務められるなど、駒場における心や認知の研究を先導されてきました。深く感謝申し上げます。そして、先生は今後もバリバリ研究を続けられると伺っております。ますますのご活躍を祈念しまして、結びとさせていただきます。

(生命環境科学/スポーツ・身体運動)

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