HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報635号(2022年4月 1日)

教養学部報

第635号 外部公開

道はひとつではない

総長 藤井輝夫

image635_1_01.jpg 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。二年以上にわたる新型コロナウイルス感染症の蔓延の中で勉学に励み、本学のさまざまな選抜を突破し、新たな大学生活を始められるみなさんを心から歓迎します。
 東京大学の創立は明治一〇年、今から一四五年前のことです。さらにその一年前の明治九年に二〇歳と定められた日本の成年年齢が、この四月に一八歳に引き下げられました。実に一世紀半を経て初めての変更です。東京大学に集う、ほぼすべての学生が未成年ではなくなったわけです。飲酒・喫煙・ギャンブル等の禁止はこれまでと変わりませんが、成人となれば保護者の同意がなくとも、自分の意思で契約ができます。それだけに、悪質な勧誘や違法な儲け話などのトラブルに巻き込まれる危険性も高くなります。よく考え、必要なことはよく調べ、また信頼できる人に相談するなど、成人としての責任を自覚した行動が求められています。
 視野を広げると、みなさんが担う責任は、じつは個人的なものに限られません。たとえば地球に対する責任も、私たちの大きな課題です。しかしそれらは、どこから手を付けて良いか分からない複雑な問題ばかりです。何が正解なのかはもちろん、正解と呼べるものが存在するのかさえ、保証されていません。そんな課題に取り組むためにどんな知見と能力が必要とされるのか、気候変動の問題を例に話してみたいと思います。
 昨年のノーベル物理学賞は、計算機を活用して気候変動のメカニズムを理解し、将来変化を予測した真鍋叔郎博士に授与されました。博士が研究を始めた当時の計算機はまことに原始的で、現代のスマートフォンにも劣る能力のものでした。そうした環境で物理学的に意味のある結果を導くには、何が本質的かを見極めて、簡明なモデルを作る必要があります。博士は、重力の方向の一次元に絞って、大気中のさまざまな高度におけるエネルギーの出入りと、対流による空気の混合を考慮した放射対流平衡モデルを構築しました。その計算により、大気中の二酸化炭素濃度が倍増すると地上気温が約二度上昇することを示しました。この研究が先駆けとなり、温室効果ガスの増加と地球温暖化との関係がしだいに明らかになっていきます。
 ここで重要だったのは、何が正解であるかがわからないなかで、地球規模の現象を適切にモデル化する発想力であり、既存の計算機の能力を最大限に活用する工夫と、継続的な自己研鑽です。その積み重ねが、信頼できる予測結果に繋がり、国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による評価など政策判断の基礎になりました。常に進歩していく科学の世界で真の貢献をなすには、卓越した専門性が必要です。本学で用意している多種多様な分野の学部後期課程では、将来の自己研鑽の基盤となる体系的な知見の習得が期待されています。
 温室効果ガスの増加が地球温暖化の主要因だということが明らかになるにつれ、国際的な連携のもと、二酸化炭素の人為的な排出を削減しようという動きが盛んになりました。しかしいざ排出削減を実現する具体的方法を検討しようとすると、これは一筋縄ではいきません。単一課題(シングル・イシュー)に絞って考えてしまうことが、別の大きな問題を引き起こし、社会に分断を生みだす可能性があるからです。
 たとえばヨーロッパの多くの大学で、一定の距離までは、二酸化炭素排出量が多い飛行機ではなく鉄道等による出張が奨励されています。しかし、子育ての状況によっては、飛行機ならば片道二時間で済むところに電車で一〇時間かけるのは難しいかもしれません。二酸化炭素の排出削減という目標と、育児と研究活動の両立という切実さとを衝突させるのではなく、どちらも諦めずにかなえるためにはどうすれば良いのか。保育の体制やワークライフバランスの見直しなどを含め、多面的な見方が必要です。
 あるいは、電源の脱炭素化をすすめるのなら、火力発電をなくせばいいのか。太陽光や風力による発電など再生可能電源を増やせばよいのか。しかし、蓄電装置を整備するコストが莫大にかかること、偏在する電源適地から消費地への送電設備の増強が必要なこと、さらには電力系統の安定運用に必要な条件の確保が難しいことなどの多くの問題もわかってきました。電源の脱炭素化の実現には、電源適地近くへの電力を多く消費する産業の移転や、二酸化炭素の排出が少ないタイプの火力発電の開発・併用、電力消費や居住のあり方の再検討など、複数の選択肢について多角的に考えねばなりません。道はひとつではないのです。
 単一課題への集中は、物事の構図を単純化しますが、それゆえに理解を一面化し、ときに社会の分断を引き起こします。分断が深まると社会的な合意が難しくなり、本来のゴールに近づくことができません。
 本学のグローバル・コモンズ・センターが進めているプロジェクトは、世界各国が問題を共有し、多方面から協力して地球環境を守るための仕組みの構築を目指す試みです。脱炭素化・食糧問題・都市のあり方・政策・金融市場など複数の観点から、気候変動や生物多様性に対して、各国がどれくらい貢献しているか、あるいは負荷を与えてしまっているかを指標で示す。この指標を参考として、それぞれの事情に応じて地球環境を守る取り組みに協力してもらうことを、各国に期待しているわけです。
 単一課題化による分断を避け、複雑な利害関係を超えた協創を実現するには、他者の立場に思いを馳せ、絶え間ない対話を通じて、ともに問い、解決への道を探る粘り強さが必要となります。たった一つの方法で解決しようとするには、問題はあまりに複雑です。前期課程では、その基盤として、地球規模の課題の理解に不可欠な諸科学の基礎的な知見はもちろんのこと、言語・文学・芸術にも視野を拡げて学んでいただくことを期待しています。
 今後の学修を通じ、本学の環境を思う存分活用して、ぜひみなさんの将来の糧として下さい。ようこそ、東京大学へ。

(東京大学総長)

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