HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報635号(2022年4月 1日)

教養学部報

第635号 外部公開

授業名に注意!?

佐々田槙子

 小学校の頃から、学校の授業は「科目」に分かれています。国語、算数、理科、社会、体育、音楽など、各授業には名前がついていて、中学校以降はそれぞれに担当の先生も変わるようになってきます。学年が上がるにつれ、分類はどんどん細かくなり、理科ならば物理、化学、生物など、社会ならば日本史、世界史、地理、現代社会などから、いくつかを選択した経験を皆さん持っていることと思います。
 これらの分類について、学生時代は当たり前のように受け入れてきましたが、この数年間、小中学生向けに「数理ワークショップ」というものを続けてきた中で、いろいろな弊害もあるように感じてきました。数学の様々な考え方や理論は、経済学や物理学などはもちろん、デザインや建築、スポーツ、生物学などあらゆる分野で重要な役割を果たしています。例えば、このワークショップでは、壁紙や建築物、洋服などのデザインに使われる周期的な模様について、数学的な視点を用いた分類や、周期的模様を作り出す方法を紹介し、オリジナル作品作りを行なっています。このワークショップ後、「数字の出てこない数学もあるんだ」「自分は数学を好きかもしれない」といった感想をよく聞きます。自分が「数学」だと思っていたものが、実は「数学」のうちのかなり狭いものだったと気がついてもらえたのだと思います。
 さて、私の専門は「確率論」です。「確率論」もとても幅が広く、また現代数学の中では比較的新しい分野です。金融工学や統計学を基礎づける研究や、ある図形の中をランダムに動く粒子(あるいは酔っ払い!)を観察することでその図形の形を調べるという幾何学と密接に繋がった研究など、多様な方向に広がり続けています。
 私自身は、統計力学と呼ばれる物理学の理論に、数学的な基礎づけを与えることを目指した研究をしています。統計力学は、原子や分子などの微視的な世界の性質と、私たちが日常目にしている世界(これを巨視的な世界と言います)の性質をつなぐ理論です。例えば、水はなぜ0度で氷に変化するのか、熱はなぜ熱いものから冷たいものへ流れるのか、なぜ磁石ができるのか、などを説明することができます。この物理学の理論を、数学的に厳密な言葉によって整理し、必要な新しい数学の概念を作り出していくことで、より深くこの理論を理解したり、物理学の観点からも新しい予想を生み出したり、さらには、出来上がった数学理論を物理学には関係のないところにも応用したり、ということを目標に研究をしています。
 微視的な世界と巨視的な世界の性質をつなぐ重要な鍵が、確率論だということはよく知られており、私も確率論のさまざまな知見や手法を用いて研究を行なっていました。具体的には、たくさんの粒子(原子や分子)が、お互いになんからのルールで影響を与え合いながらランダムに動き回っている状況を「確率過程」という数学的な対象として記述します。すると、粒子が非常に大量に存在する状況で、さらに時間や空間のスケールを非常に大きくしていった状況においては(正確には、極限をとる操作をします)、粒子一つ一つの動きはすっかり見えなくなってしまい、平均的にどのあたりにたくさん粒子がいるか、といった情報(これを「巨視的な情報」という)だけしか残らないということを証明することができます。さらに、平均的な粒子の分布が時間とともにどのように変化するかを、具体的な微分方程式によって表すことができます。ここで、ランダムなものがたくさん集まると集団全体の持つ性質がわかる、という構造は、サイコロをたくさん振って出た目の平均を調べると、回数を増やしていくにつれてサイコロの目の期待値に近づいていく、ということと全く同じ原理に基づいています。
 最近私が研究しているのは、このように「巨視的な情報」として残るものは何なのか、について、数学的に特徴づけたいという問題です。「何なのか」という問いは、非常に抽象的で哲学的なものに感じられるかと思いますが、実は数学の醍醐味は、このような抽象的で曖昧に感じられる概念を、客観的ではっきりとした姿で記述できるようになることです。例えば、「ランダムである」とは何なのか、「ランダムに変化していく」とはどういう意味か、などを突き詰めて、客観的な言葉を与えたのが「確率論」です。
 「巨視的な情報」として残るものは何なのか?について研究していく中で、確率論とは全く別の分野の考え方が使えることがわかりました。それは、コホモロジーと呼ばれる、主に図形の形を研究する際に導入された考え方で、今では数学の様々な分野で用いられているものですが、私の研究分野ではまだ使われていなかったものです。
 コーヒーカップとドーナツは、穴の数が1つだから数学者は同じと考える、ということを聞いたことがあるかもしれません。この「穴の数」というのは、コーヒーカップやドーナツが持つ大事な「特徴量」です。このように、対象の細かい違いを忘れて、大事な特徴量を抽出することができるのが、コホモロジーの理論です。そのように考えると、実は「微視的な(大量の)情報」から「巨視的な情報」を抽出するというのは、まさにコホモロジー理論にピッタリだったのです。このことに気がついてから、様々な研究のアイディアが湧いてきて、新しい概念を複数導入することによって、既存の結果を統一的に理解し、さらに一般化することができました。
 これらの結果に対して、昨年十一月に、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)より「第3回 輝く女性研究者賞(ジュンアシダ賞)」を、また、今年の一月に藤原洋数理科学賞奨励賞をいただきました。研究の喜びを存分に味わった上に、このような賞までいただくことができ、大変嬉しく思っています。
 コホモロジーの理論は、元々幾何学的な問題から生まれたために、今でも「幾何学」の授業で教えられていますが、「たくさんの情報から、大事な情報を抽出する理論」という授業名をつければ、もっと多くの人が、自分の問題にも関係あるかもしれない、と気がつくようにも思います。「数学」も、元々は数や図形を調べたいという動機で始まった理論が中心ではありますが、私は「ものごとの様々な見方を知り、創造し、それらを客観的に表現し、解析する」ことについて学ぶ分野ではないかと思っています。今シラバスと睨めっこしている皆さんは、授業名にとらわれず、もう一度何を学ぶことができそうかよく考えて、授業を選んでみてください!

(数理科学研究科)

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