HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報636号(2022年5月 9日)

教養学部報

第636号 外部公開

くるくるまわりながら進むバイオマシン 〜微生物とモータータンパク質を例に〜

矢島潤一郎

 生命システムのあらゆる階層で、機械(マシン)が暗躍しているのをご存じだろうか。ルネ・デカルトは、動物を「自然の部品の組み合わせによる機械」と擬えていたし、動植物を構成する細胞も、その細胞を構成するタンパク質も、あたかも機械のようであることは、いまや現代生命科学では常識である。ただ、皆さんが思うような機械とはおそらく異なる。我々は、月にまで有人飛行のできるロケットや、海底6000mの未開の地を探索できる潜水艇は作れるのだが、そこらじゅうにいる虫けら一つ、細胞一つすらいまだに作れない。どうしてだろうか。おそらくそこに働く設計思想が異なるのだろうし、細胞や細胞で働くタンパク質に対する理解が不十分なのだろう。
 潜水艦(〜100m)と微生物(〜0.1mm)の泳ぎ方をざっと比べてみよう。重さ1000tの潜水艦は、莫大なエネルギーを使用して潜尾のスクリュープロペラを回転させ、時速10kmで推進する。一方、繊毛虫(例えば、一二郎池で泳ぐテトラヒメナ。洋ナシ形真核単細胞・ゾウリムシの仲間)は、繊毛という体中から生えた1000本程の運動性細胞小器官の回転により、時速100cmで推進する。比較にならないほど遅いのだが、微生物は機敏である。潜水艦はプロペラの動きを止めてもすぐには止まれないが、微生物は瞬時にとまり、その場で方向転換も可能だ。つまり、微生物は慣性の影響をほとんど受けず、流体の粘性抵抗に左右されやすい。レイノルズ数(簡単には、粘性力に対する慣性力の割合)という指標を用いると、低レイノルズ数の世界で生きていることになる。そして、繊毛虫は螺旋遊泳するのが特徴的で、低レイノルズ数の世界での泳ぎ方としては合理的(後述)なのだが、実に百年も前から知られているこの螺旋遊泳が、どのような仕組みなのか、螺旋が「右巻」なのか「左巻」なのかすら、最先端のテクノロジーを以てしても明らかになっていない。テトラヒメナは小さくて透明度が高いため、顕微鏡で観察すると人間の目には錯視によって、右巻にも左巻にも見えてしまう。これは皆さんが小学生の頃から慣れ親しんだ顕微鏡の特性のため仕方がない。もともと光学顕微鏡は三次元的構造体を二次元平面に投影してしまうため、その平面に垂直な方向(光軸方向)への物体の動きを見たり、位置情報を得たりするのが苦手なのだ。
 私の研究室では、観察が容易でないミクロなバイオマシンの光軸方向への「動き」を捉えるため、レーザーディスクプレーヤーなどに用いられ得る、光ヘッドのフォーカシング誤差検出法の一方式「ナイフエッジ法」を光学顕微鏡に工夫して適用し、カメラに投影される物体のデフォーカス状態により、物体の三次元位置を特定している(詳しくは二〇二一年十月の丸茂哲聖さんらのプレスリリース記事を参照)。このThree-dimensional Prisma­tic Optical Tracking(tPOT)顕微鏡と名付けられた光学顕微システムで、標識マーカーとなる微小な蛍光ビーズを食べたテトラヒメナを観察すると、美しいほどきれいな右巻き螺旋を描き、自身も細胞の長軸に対して〝くるくる〟と右回転の自転をしながら泳いでいた。テトラヒメナが暮らす低レイノルズ数の世界というのは、私たちが直感的に体得している世界とは全く異なる。喩えて言うと、粘々のハチミツの中を泳いでいるようなもの。従って、低レイノルズ数スイマー(極軽量で重力もさほど気にならない)にとっては、我々がよく知るF=maという物理法則は、ほとんどどうでもいい。低レイノルズ数の世界で泳ぐというのは、体や運動器官を何かしらの方法で変形して元に戻し、それらを周期的に行うことに他ならない。ただし、単なる往復運動だけならどこにも行けず、その場でジタバタするだけだ。変形を伴う非対称性往復運動であれば、その物体は1サイクルあたりでは前方に微小に移動し、同時に左右のどちらかにずれ、このサイクルを繰り返せば、二次元平面なら円を描くし、三次元空間なら1サイクルあたりの変形で生じる捻じれから「螺旋」を描くはずである。1mmにも満たない単細胞が描くきれいな螺旋遊泳を目の当たりにすると、物理的環境に忠実に進化してきたのだなあと感心する。ただ、この非対称な往復運動をもたらす繊毛の運動機構がいまだ不明なので、人間はこの小さなバイオマシンを作れないでいる。加えて、この繊毛は、ヒトの臓器等の左右性(ホモキラリティ)を決めたり、不妊症や脳室が肥大する水頭症に関連したりするため、繊毛が動く仕組みの解明は、人間にとっても重要である。
 バイオマシンが人工マシンと明らかに異なるのは、扱う部品のサイズである。生命システムは、貪欲にナノメートルスケールの部品にまで手を拡げ、うまい具合にマイクロメートルスケールのシステムを作り上げた。マイクロマシンである繊毛は、細胞骨格タンパク質・微小管や、モータータンパク質・ダイニンやキネシン等の部品から作られる。このダイニンやキネシンは、微小管上を直進するリニアモータータンパク質として生物の教科書には掲載されているが、上述のtPOT顕微鏡を用いてタンパク質サイズに合わせたnmの位置精度で三次元空間で動きを捉えると、なんと微小管の周りを"くるくる"と左に回りながら前進する螺旋移動型モータータンパク質であった(詳しくは二〇二一年二月の丸山洋平さんらのプレスリリース記事を参照)。これくらいの小さなスケールになると、人工マシンでは考慮がされない熱揺らぎの影響が、俄かに顕わになってくる。そのため、右に行ったり左に行ったりしながらも平均的には左に進む、といったモータータンパク質の動きが揺らぐ姿を目の当たりにできる。このように適当にフラフラと気儘に動く部品というのは、人工マシンでは誤作動の原因でしかないため、出来るだけ排除される。従って、バイオマシンには人工マシンとは異なる設計原理があるに違いない。といっても、本当にあるかどうかはわからない。こうした答えがあるかわからないことを深く深く突き詰められるのが、知識に範囲を設定してきた受験勉強とは異質で、限界の無い学問の醍醐味ではないかな。一、二年生の皆さんは、あまり合理的に考え過ぎず、答えがあるかどうかはわからないけれど、ワクワクすることを見つけてほしい。だってバイオマシンだもの。

(生命環境科学/先進科学)

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