HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報637号(2022年6月 1日)

教養学部報

第637号 外部公開

<時に沿って> 相手の目を見るということ

浜田華練

image637_6_02.jpg コーカサスのキリスト教を研究し、アルメニアやジョージア(グルジア)などへ行き来していると、現地の文化・慣習に適応するためのノウハウが蓄積していく。相手へ贈る言葉を伴う乾杯とそれに対する返礼の乾杯とが延々繰り返されるコーカサス式宴会での身の処し方、ヒンカリ(大き目の小籠包のようなジョージアの伝統料理)の中の肉汁をこぼさずに食べる方法、唐突な「散歩」(と称する山歩き)の誘いに備えて常に装備を揃えておくことなど、大体は現地でしか役に立たないようなことだが、一つ、いかなる時にも心に刻んでいることがある。それは、アルメニアの首都エレヴァンで偶然出会った高名なアルメニア学の先生の「目を見た相手は殺せない」という言葉である。これだけ抜き出すと何事かと思われるかもしれないが、なんのことはない。歩行者に優しいとは言えないエレヴァンの交通事情に不平をもらした私に、その先生が「道を渡るときは、急がずゆっくり歩きながらドライバーの目を見なさい。人は目を見た相手は殺せないから」というアドバイスをくださっただけのことだ。
 この時のアドバイスは半ば冗談だったにせよ、「目を見た相手は殺せない」とは、含蓄のある言葉である。「目を見る」とは、誰かをただ見るだけではなく、その誰かもまたこちらを見る生きた主体であると意識することである。日本で生活しているとほとんど情報が入ってこないような地域であっても、それぞれの専門家の研究や体験談を通じて、そこに生きる人々が、おぼろげながらも顔の見える存在となっていく。私が学部・大学院を通して過ごし、そしてこのたび教員として戻ることになった地域文化研究専攻というところは、そういう経験のできるところである。少なくとも私自身の経験において、ここでの学びを通じて、ただの地図上の「地域」から、「目を見る」相手となったところは少なくない。そしてそれは、本当に大切なことではないかと、このところずっと考えている。
 ロシア軍によるウクライナ侵攻が続く中、旧ソ連圏を研究対象とする研究者たちの多くは、様々な苦悩を抱えながら、それぞれの立場で自身の責任を果たしている。その末席に連なる者として、私にできることは何か、日々自問自答しながらも答えは出ていない。答えが出る日がくるかどうかもわからない。ただ、侵攻が始まってから常に自分の中に響いているのが、「目を見た相手は殺せない」という言葉である。遠く離れた地の顔も知らない誰かの苦しみに寄り添うことは容易ではない。しかし、政治・経済や歴史などの学問であれ、あるいは文学や芸術といった文化であれ、何かを通して一度でも「目を見る」、そこに生きる人を人として意識したことがあれば、その苦しみに全くの無関心でいることはできないはずである。少なくともそう信じて、研究・教育を通じて、今この世界のどこかに生きる人々を、「目を見る」相手とすること、それが地域文化研究に携わる者として、私が最低限果たすべき役割であろう。

(地域文化研究/ロシア語)

第637号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報