HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報638号(2022年7月 1日)

教養学部報

第638号 外部公開

国際関係論の形成過程を探求する意義 ―第10回水田賞受賞に寄せて

馬路智仁

 私は毎年、初年次ゼミナール文科を担当する際、E・H・カーの『危機の二十年』(一九三九年)を講読図書に挙げている。国際場裏における権力・道義・法の役割を戦間期の政治現象に照らして鋭く分析し、リアリズムとユートピアニズムの結合の下に新しい国際秩序を構想しようとする本書には、国際関係について考察する上で土台とすべき多くの知見やパースペクティヴが詰まっているからである。また、知識社会学者カール・マンハイムやキリスト教リアリストのラインホールド・ニーバー、(後の)経営学者ピーター・ドラッカーをはじめ、同時代における数多くの重要思想家の著作に論及する本書は、20世紀前半のヨーロッパ政治思想を検討する上で欠かせない書物だからである。言い換えると、本書は国際関係論の古典であると同時に、国際政治思想史の一つのメルクマールでもある。人文・社会科学を学ぼうとする学部一年生が、その読解から得るものはきわめて多い。
 しかしこうした『危機の二十年』が、その長年にわたる大きな影響力ゆえに、逆に覆い隠してしまったものにも目を向ける必要がある。第10回水田賞の受賞―受賞の研究テーマは「政治思想史における帝国と国際秩序」である―につながる私の研究は、この問題意識から出発しているといっても過言ではない。
 そこで、『危機の二十年』を国際的なもの(the international)をめぐる当時の知的状況と照らし合わせてみると、あることに気づく。本書には、同時代の英語圏において広く流通していたはずの帝国に関する議論―帝国の統治や秩序、植民地管理、人種的階層性に関する議論―がほとんど登場しないのである。これは、たとえばカーと同時期にオックスフォード大学において国際関係論講座教授を務めていたアルフレッド・ジマーンの著作と照合するとき、きわめて顕著に浮かび上がる(カーはウェールズ大学アベリストウィス校の国際政治学講座教授であった)。
 なぜなら、ジマーンの所論は、一九二六年に刊行され、三〇年代半ばまでに数版を重ねた彼の『第三次ブリテン帝国(The Third British Empire)』に象徴されるように、帝国の問題と国際秩序の問題を行き来する形で組み立てられていたからである。それは、既存の帝国統治や人種的階層性を維持するために、いかにして国際機関を利用するかという視点を包含するものであった。ジマーンにとっての国際関係論は、帝国内(intra-imperial)関係論や帝国間(inter-imperial)関係論の色彩を帯びるものだったのである(詳しくは、UTokyo Biblio Plazaにおける拙著の紹介を参照https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/G_00141.html)。
 こうした帝国をめぐる問題系が、カーの『危機の二十年』からはほぼ抜け落ちている。言い換えれば『危機の二十年』は、国際的なものに関する当時の議論を領域主権国家とその間の戦争・平和の問題へ縮減することで、帝国秩序や帝国内の暴力、人種主義について語る視座を除外してしまったと見ることができる。もちろん戦争・平和の問題自体の重要性は言うまでもないが、この点では本書は国際関係論を「衛生化」してしまっているのである。本書の大きな影響力は、かかる帝国の問題を、この学術分野においてその後周縁化することに一役買ったといっても言い過ぎではなかろう。私が従事する20世紀前半の国際政治思想の探求は、国際関係論という学術の生成過程を当時の政治思想の状況と絡めて吟味することで、この学術分野が捨象するに至ったものに改めて光を当てる試みともなる。
 本賞受賞の研究テーマとの関連で言えば、私はとりわけ、入植者植民地主義(settler colonialism)や入植者帝国(settler empire)が持つ国際関係論への含意に関心を抱いている。入植者植民地主義とは、「無主地」と差別的に表象される場所において、本国(や本拠地)からの移住者が自らの共同体や統治機構、市民社会を設立する実践と、その実践を支えるイデオロギーを指す。そのような入植者共同体の設立が、原住民に対する法的・経済的な剥奪、人種差別、生身の身体への迫害、文化的ジェノサイドといった暴力を往々にして伴っていたことは言うまでもない。
 こうした入植・移民は、国境やその他境界を跨ぐ本来的に「国際的な」問題である。実際に20世紀前半、草創期の国際関係論は入植者帝国の問題をその射程に含んでいた。他方、今日この問題は、先住民問題として、つまりは国境の「内側の」課題として扱われる傾向にある。入植者植民地主義・入植者帝国は、いつまで国際関係論の射程の中にあり、いつからそうで無くなったのか。そうで無くなったことのこの学術への、この分野における学者コミュニティや学生の思考への帰結・含意は何か。これらを考察することは、駒場における国際関係論と決して無縁ではない。駒場の国際関係論の創設を主導した矢内原忠雄が戦前展開した植民政策学―特に彼の代名詞的な「実質的植民」論―は、入植者植民地主義の亜種とも見なし得るからである。
 さらに世界的に見れば、国際関係論を含む社会科学の脱植民地化(the decolonization of the social sciences)が一層提起されるようになってきた感がある。既存の社会科学知(その中の各分野における学知)の前提や枠組み、理論そのものが、帝国的、人種主義的な負荷を背負っている可能性が大いにある。こうした内省の一端は、既存の学術がどのように生成・発展してきたかを分析し、その前提・境界を明らかにすると共に、それらの妥当性を改めて問い直すことで可能となる。本賞受賞を励みとして、20世紀国際政治思想の研究をさらに進展させると同時に、我々が研究上依拠している前提・基盤そのものへの内省を深めていきたいと考えている。

(国際社会科学/社会・社会思想史)

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