HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報638号(2022年7月 1日)

教養学部報

第638号 外部公開

<時に沿って> 問えることの不思議

梅島奎立

image638_4_3.jpg 二〇二二年四月に総合文化研究科広域科学専攻の助教に着任しました、梅島奎立(ウメジマケイタ)と申します。授業は教養学部統合自然科学科の物質基礎科学実験を担当します。自分も元々統合自然科学科の学生で、昨年度まで総合文化研究科の大学院生でした。博士号取得から時間を空けず、落ち着いて研究できる役職をいただけたことは、あまりに恵まれた境遇と理解しています。
 専門は人間の脳のはたらきで、ある脳状態が言語や記憶といった機能とどう対応するかを調べています。自分は特にMRI装置を用いて、画像で提示された問題に対してボタンを押して回答するというような、認知課題を行っている最中の脳活動を測ってきました。MRIと聞くと、病院で身体の断面を撮影するのに使うことを想像される方が多いでしょう。しかしMRIは、脳状態の時間変化を人体に影響なく計測できる優れた装置でもあり、駒場キャンパスにも設置されています。博士論文では言語習得を扱い、特に思春期以降に新たな言語を習得する際に、多言語話者と二言語話者で脳活動が異なるかを調べました。すると多言語話者では、文法事項を一つ習得した段階で脳活動が上昇し、以降の習得の過程を通して脳活動が維持されたのです。これに対し二言語話者では、新たな文法事項が導入されるたびに脳活動が初期の低い水準に戻り、その事項を習得し終えると再び上昇する、という周期的なパターンを示しました。これらの結果は、多言語話者が既に習得した言語の知識を累積的に活用できたことを示唆しています。日本人は英語が苦手といわれることもありますが、語順の違いなどが必ずしも障害になるわけではありません。むしろ臆せず色々な言語に手を伸ばすことで、個別の言語に依らない「言語とは一般にどういうものか」という理解が深まるのではないでしょうか。
 言語一般の話を出しましたが、例えば日本語と英語は全然違う、というのが素朴な考え方かもしれません。数学者フォン・ノイマンは著書『計算機と脳』において、「言語はおおむね、歴史的な偶然の産物と了解するのが適切だろう。......多数が存在すること自体、言語には絶対的なところも必然的なところもないことの証だ」(柴田裕之訳)とまで述べました。自分も昔は漠然と同じ印象を持っていましたが、言語学者チョムスキーが創始した「生成文法」理論に学部四年時に触れ、認識ががらりと変わります。生成文法の主張は端的にいえば、個別の言語について構造を分析することで、表現を「生成」する言語一般の「文法」や形式を導けるというものです。この文法・形式が延いては自然法則に帰着できるかもしれない、という発想に衝撃を受け、取り憑かれて今日まで来てしまいました。主張の正しさ如何にかかわらず理論を面白いと感じたのは、それだけ美しかったためと言わざるを得ません。
 人間の知性、とりわけ科学の営みには「なぜ」と問う能力が不可欠です。この「〇〇であるのはなぜ」という命題的思考の基礎に言語がありますが、上記の「文法」が如何にして命題を生成するかというのは、まだ言語学者の間でも議論の最中です。命題的思考と言語、延いては科学と言語の関係に対し、脳計測実験から根源的な示唆が得られることを期待してやみません。

(相関基礎科学/物理)

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