HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報639号(2022年10月 3日)

教養学部報

第639号 外部公開

赤色の光で生命現象を操作

佐藤守俊

 筆者らは、生命現象を光で操作するための技術を開発している。細胞や生体に光を当て、分子レベルの現象を意のままに操作しようというのだ。光が得意とする高い時間・空間制御能をもってすれば、狙ったタイミングでのみ、狙った部位でのみ、様々な生命現象をコントロールできるかもしれない。このような未来を実現すべく、筆者らは「Magnet:マグネット」と名付けた光スイッチを二〇一五年に開発した。Magnetは、青色光を吸収すると結合する二つのタンパク質のペアであり、操り人形で言えばヒモとか棒に相当する、光操作の基盤技術である。Magnetの開発によって、青色光で指令を与え、生命現象に関与するさまざまなタンパク質の働きを私たちの意図で操作することが可能になった。

 Magnetを応用した研究が進む一方で、Magnetの課題も明らかになっている。Magnetは青色光で作動する光スイッチだが、青色光は生体組織透過性が低いため、生体外からの光照射で操作可能な部位は、生体表面から近い組織や器官に限定されてしまう。この技術的な課題を克服するために、筆者らは最近、赤色光でコントロール可能な新たな光スイッチ「MagRed:マグレッド」を開発した。赤色光は青色光に比べると生体組織に吸収されにくく、生体深部にまで届きやすい。例えば、赤色光のレーザーポインターを親指に当てると、その赤色光が親指を透過することがわかる。青色光や緑色光ではこうはいかない。この簡単な実験から、赤色光で作動する光スイッチを開発できれば、少なくとも数センチ程度の生体深部の光操作が実現可能になることを実感できる。
 筆者らは、MagRedを開発するために、さまざまなバクテリアが有する赤色光受容体(バクテリオフィトクロム、BphP)と呼ばれるタンパク質を検討し、特に放射線抵抗性細菌(Deinococcus radiodurans)の赤色光受容体(DrBphP)に着目した。DrBphPは哺乳類細胞に内在する化合物のビリベルジンを補因子として取り込み、赤色光を吸収すると構造変化する性質を持っている。しかし、DrBphPのこの性質だけを利用してさまざまなタンパク質の働きを操作するのは困難である。筆者らは、青色光によって二つのタンパク質が結合する上述のMagnetのように、赤色光によるDrBphPの構造変化を認識してDrBphPに結合するタンパク質(以下、バインダー)を開発することで、赤色光で作動する光スイッチを開発できると考えた。
 この着想を実現するために、アフィボディと呼ばれる抗体様分子の変異体ライブラリを作製し、リボソームディスプレイ法を用いて、赤色光を照射した条件でのみDrBphPと結合するアフィボディをバインダー候補として単離した。この進化分子工学的アプローチで得られたバインダー候補に対してアミノ酸変異や末端のアミノ酸の削除といった改変を加えることで、赤色光照射時の結合効率を改善したバインダーの開発に成功した。このDrBphPとバインダー(アフィボディ)からなる光スイッチを、Magnetの赤色バージョンという意味を込めて「MagRed」と名付けた。
 MagRedは光操作の基盤技術なので、さまざまな応用が可能である。本稿では、MagRedを用いて赤色光による遺伝子発現の光操作技術を開発した例を紹介する。私たち生物は、さまざまな生命現象を制御するために、ゲノムに書き込まれた約22,000種類の遺伝子の働きを制御するメカニズムを持っている。この遺伝子発現と呼ばれるメカニズムを、もし光で操作できるようになれば、さまざまな生命現象を意のままにコントロールできるようになるだろう。筆者らは先行研究で、ゲノム編集技術のCRISPR-Cas9システムとMagnetを用いて、遺伝子発現の光操作技術「CPTS」を開発していた。CPTSに導入したMagnetをMagRedで置き換えることで、赤色光による遺伝子発現の光操作技術(Red-CPTS)を開発することができた。Red-CPTSはCRISPR-Cas9システムを用いているので、ガイドRNAの塩基配列を設計するだけで、ゲノムにコードされたどんな遺伝子でも、その発現を赤色光で操作できる点が非常に使いやすい。筆者らは、Red-CPTSをマウスの肝臓に導入し、生体外から非侵襲的に赤色光を照射することで、Red-CPTSが生体深部の遺伝子の働きを効率良く操作できることを実証した。

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LEDでマウスの生体外から非侵襲的に赤色光を照射している様子

 ちなみに、他の研究グループから発表された赤色光スイッチをCPTSに導入したところ、赤色光を照射していない暗環境下にもかかわらず非常に高いレベルの遺伝子発現が観察された。これはまさに、アクセルを踏んでいないのに猛スピードで走ってしまう車のようなものだろう。既存の赤色光スイッチは赤色光による制御能が著しく低いことがわかる。一方、MagRedを用いたRed-CPTSでは、暗環境下では遺伝子発現がほとんど検出されず、赤色光を照射すると非常に効率良く遺伝子発現を誘導できることから、MagRedが極めて光制御能が高い光スイッチであることがわかった。
 上述のように筆者らは、赤色光による生命現象の光操作の基盤技術としてMagRedを開発した。MagRedは、生命現象の解明や、遺伝子治療、細胞治療など、新たな生命科学・医学分野の開拓に貢献するだろう。

(生命環境科学/化学)

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