HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報639号(2022年10月 3日)

教養学部報

第639号 外部公開

『日韓関係史』で大平正芳賞特別賞を受賞して

木宮正史

image639_2-1.png  拙著『日韓関係史』(岩波新書、二〇二一年)で、このたび大平正芳賞特別賞を受賞した。草稿を読んでもらい有益なコメントをもらった大学院のゼミ生を初め、本書の出版に関わった方々に御礼を申し上げたい。ちなみに、本書には、一九六五年の日韓国交正常化に至る交渉過程で、六二年当時、大平外相と金鍾泌韓国中央情報部部長との間で行われた、日韓請求権交渉をめぐる政治決着、所謂「金・大平メモ」に関する記述がある。この交渉をめぐって、日本では「朝鮮半島冷戦に巻き込まれ平和が奪われる」という批判、韓国では「植民地支配に対する謝罪や清算が不十分だ」という批判、このような異なる視角ではあったが、共に激烈な反対運動が展開された。その後も、冷戦体制下の経済協力を優先させたことで、植民地支配の謝罪や清算の機会が犠牲にされたという批判が、韓国では提起され続けた。昨今、日韓間の緊張をもたらしている慰安婦問題や徴用工問題も、こうした批判の延長線上に位置づけられる。
 ただ、六五年当時、日本が優位にあった力関係や、植民地支配に関する反省がほとんどなかった日本政府や社会の歴史認識を与件とする限り、植民地支配を清算するための日韓の請求権問題を、無償三億ドル、有償二億ドルという経済協力として政治決着する以外の方法を、当時の韓国政府が実現することは、やはり難しかったのではないか。しかも、当時、北朝鮮に比べて国力において劣勢であった韓国にとって、米国の援助に加えて日韓経済協力によって経済発展を図ることが何よりも優先課題であった。
その後、韓国は類例を見ないほどの経済発展を達成、さらに民主化も実現することで、今日、先進民主主義国家の重要な一員となっている。筆者は、一九八〇年代の韓国留学の機会などを通して、まだ開発独裁であった時代の韓国を実体験しながら研究対象としてきただけに、韓国のダイナミックな変化を実感する。日韓協力が日韓双方に大きな利益をもたらしたのみならず、地域、そしてグローバルな利益をもたらしたことは間違いない。
 冷戦期、⑴日本の力の優位、⑵日本の市場民主主義、韓国の開発独裁という体制価値観の違い、⑶政府・財界のみの関係、⑷関心・情報・価値の日本から韓国への一方的流通、によって特徴付けられる非対称関係の下、日韓協力によって韓国の経済発展と政治的安定を達成し、それによって北朝鮮に対する韓国の体制優位を確保することで日韓の安全保障を確実なものにするという、相互補完的な関係が形成されてきた。
 ところが、冷戦の終焉と韓国の先進国化・民主化によって、⑴日韓の力の対等化、⑵市場民主主義という価値観の共有、⑶地方政府間・市民社会間、社会文化領域を含む多層で多様な関係、⑷関心・情報・価値の流通における日韓の双方向化、などによって日韓関係は対称関係へと変容した。そして、右記の共通目標が達成されたが故に、今後一体何のために協力するのかが不透明になり、日韓間には競争関係が強く刻印されるようになっている。その結果、相互に自らの方が譲歩することで、日韓の間に存在する歴史に起因した対立をエスカレートさせないように管理するという課題を、共有し難くなったのである。
 さらに、外交政策をめぐる乖離も存在する。韓国は北朝鮮に対する体制優位を確保し、韓国主導で平和共存の制度化を試みる。その過程で生じた、北朝鮮の核ミサイル危機への対応をめぐり、日韓は北朝鮮の非核化という目標を共有するが、その方法において乖離も見られる。その結果、韓国は北朝鮮の非核化よりも南北関係改善の方を優先するのではないかという疑念が、日本では相当程度共有される。そして、中国の大国化とそれに伴う米中対立の深刻化への対応をめぐっても、韓国は唯一の同盟国米国と、最大の貿易相手国で北朝鮮にも大きな影響力を持つ中国との間で、二者択一を回避する「戦略的曖昧性」を維持しようとした。それに対して、日本は「インド太平洋」構想で米国を説得し、中国を牽制するために必要な米国の関与を確実にしようとした。
 但し、こうした構造変容が必然的に日韓関係を悪化させたわけではない。日韓双方における賢明な政治指導が担保されるならば、例えば九八年の日韓パートナーシップ宣言に基づき、双方が関係を発展するための具体的な行動計画を誠実に実行していれば、日韓関係をアップグレードさせることもできたはずだ。しかし、現実はそうなっていない。
幸い、ここ一、二年の日韓双方の政権交代に伴って、少なくとも日韓関係の雰囲気は改善されつつある。また、北朝鮮の核ミサイル危機、米中対立の深刻化への対応に関しても、日韓が異なる方向の選択をするのではなく、協力して対応することで初めて有効に対応することができるという認識も台頭しつつある。本書がそうした日韓関係の未来を切り開くための一助となることを願うばかりである。本書は韓国語に翻訳され、韓国でも出版された。なぜ、ここまで日韓関係が悪化したのかを憂う韓国の人たちが、本書に注目してくれている。日本でもできるだけ多くの人が同じ悩みを共有することを切に願いたい。

(地域文化研究/法・政治)

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