HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報639号(2022年10月 3日)

教養学部報

第639号 外部公開

<時に沿って> 昨今の教育研究等への私見です

栗原志夫

image639_4-2.jpg 五月十六日より、広域科学専攻生命環境科学系に助教として着任しました栗原志夫(ゆきお)と申します。本学の教員として、主に統合自然科学科統合生命科学コースの学生実習を担当させていただきます。私は、当学科の前身の一つである生命・認知科学科の基礎生命科学分科にて学士、生命環境科学系にて修士と博士の学位を取得させていただきました。約二十年前当時の学生実習は、夜十一時過ぎまでかかることが多々あり、担当教員も残らなければならず、かなりブラックな部分がありました。しかし、現在の学生実習の制度はだいぶ研磨されているようで、遅くなるようなこともなく、ホワイトな時代になったんだなと感じるところがあります。ただし、学生が数ある実習のどの実習に参加するのか選べない点は議論の余地があるのかもしれません。
 私は学位取得後、長らく理化学研究所を主とする研究所で研究員として勤務してきました。某研究所は教育機関ではないため、若い学生はほとんど在籍しておらず、大学とは雰囲気が異なります。一般企業に近いでしょうか。研究所では、研究内容や方向性もトップダウンで決められることが多く、その目的に向かって研究室一丸となって研究を進めていきます。一方、こちら(大学)に着任してみると、学生とのディスカッションなど目新しい体験があり、研究所では味わえなかったアカデミアを認識でき、新鮮な気持ちになりました。大学では、学生の若く自由な発想と興味で独自の研究内容を決められる利点があることを強く感じられているところです。
 私は植物の環境応答における遺伝子発現制御の解明を研究課題としてきました。特に、RNAと呼ばれる遺伝子情報伝達分子の生成、分解や生理学的な作用に関する研究に取り組んできました。数年前までは、私一人の仕事量でも分子生物学やゲノム科学の手法を用いて十分評価していただける研究成果を出せていました。しかし、直近では〝何を明らかにできたか〟よりも、その結論に至るために〝どのくらいの量のデータをそろえられたか〟が重要視されているように感じます。過去の研究によってすでにわかっていることを新たな手法を用いて量的に膨大なデータを取り直したような〝新しくない〟学術論文が主要雑誌に掲載されていることも少なくありません。有意義な研究と適切な研究評価とはどのようなものなのか、疑問に思っているところです。日本国内では、国による選択と集中や社会の過度なSDGsへの陶酔により、基礎研究の現場・方向性は大変混乱してしまっているように思います。少なくとも私にとっては良い方向にはむいていません。このまま、学術と研究分野の選抜が進み、多様性が失われてしまうのか?常々、不安が絶えません。独自分析となりましたが、私は独創的な発想で新しい発見や開発をすることがこれまでと変わらず必須であると信じて研究を行っていきたいと思っています。

(生命環境科学/生物)

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