HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報640号(2022年11月 1日)

教養学部報

第640号 外部公開

遺伝的な多様性は環境ストレスにより拡大する!?

清水隆之、増田 建

 新型コロナの影響もあって、ウイルスは生物にとって病気を引き起こす悪者だという認識が強いと思います。しかし、生物が多様性を獲得するにあたって、ウイルスの存在は極めて重要です。ウイルスは宿主細胞に感染した際に、自身の遺伝子とは別に宿主由来の遺伝子を取り込むことがあります。このウイルスが他の生物に感染することで、新たな遺伝子がその生物に取り込まれます。こうした生物間でのウイルスを介した遺伝子のやり取りは、生物の多様性の維持・確保に重要です。
 面白いことに細菌では、自身でウイルスのような粒子を作り、それを用いて遺伝子のやり取りをするしくみが知られています。この粒子は、遺伝子導入の仲介者を意味する"Gene Transfer Agent"の頭文字をとって「GTA」と呼ばれ、元々はウイルスに由来すると考えられています。そのため、形や機能はウイルスとほとんど同じですが、ウイルスが基本的には自身の遺伝子を内包して、それを増幅・拡散するのに対し、GTAは細菌のゲノム上の遺伝子をランダムに内包して他個体に伝播します。したがって、遺伝的多様性をより高めることを可能にするしくみであると言えます。
 GTAによる遺伝子伝播は、細菌の細胞密度の上昇や栄養飢餓によって促進されることが知られています。GTA産生の制御に関わるアウトプット部分の分子メカニズムはよくわかってきましたが、環境変動を検知してGTA制御系へシグナルを伝達するインプット部分の分子メカニズムについては、ほとんどわかっていませんでした。
 私たちは、以前から研究をしていた硫化水素に応答して遺伝子のON/OFFを制御する因子SqrRが、GTA関連遺伝子の制御に関わることを見出しました。そして、SqrRが酸化ストレスに応答したGTA制御のインプット部分の制御因子として機能することを明らかにしました。
 SqrRがGTAによる遺伝子伝播に関与するか検証するために、sqrR遺伝子の欠損株を作製し、GTA量とGTAによる遺伝子伝播活性を測定しました。すると、sqrR欠損株では、野生株よりも多くのGTAを蓄積し、高い遺伝子伝播活性を示しました。したがって、SqrRはGTA産生を抑制していることがわかりました。
image640_2-1.png SqrRは硫化水素に応答して遺伝子発現の制御を行うため、まず硫化水素がGTAに及ぼす影響を検証しました。しかし、予想に反して、GTA量や遺伝子伝播活性は硫化水素の有無で変化しませんでした。SqrRは、硫化水素由来の硫黄代謝物によってシステイン残基の酸化還元状態が変化することで、その活性を変化させます。この分子機構は酸化ストレスへの応答機構ともよく似ています。そこで、酸化ストレスの影響を検証したところ、SqrRが酸化ストレスに応答してGTAによる遺伝子伝播を調節することがわかりました。
 以上の通り、私たちは、細菌間でのGTAによる遺伝子のやり取りが、環境変動に応答して制御されるしくみを明らかにしました。新しい遺伝子の獲得は、環境条件に適応した新たな形質の獲得に繋がるため、細菌の進化に重要です。環境ストレスに応答したGTAによる遺伝子拡散は、細菌が集団として生き残るために自身の遺伝子をシャッフルしてストレスに抵抗する分子機構だと考えられます。特に、酸化ストレスは、DNA損傷などに関与することで細菌の生育に重大な悪影響を及ぼすストレスであるため、細菌の環境に適応して進化する過程に重要な働きを持つと考えられます。本研究は、こうした進化メカニズムについて理解を深めるのに役立ちます。

(広域システム科学/生物)

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