HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報640号(2022年11月 1日)

教養学部報

第640号 外部公開

すぐそばにある進化

若本祐一

 「進化」は生命現象の中でも特異な存在である。というのも「それが起こること」はほぼ疑う余地がないにも関わらず、「それがどのようにして起こるのか」については、実のところほとんど理解されていないからだ。自然選択の原理が進化を駆動する重要原理の一つであることはおそらく間違いない。しかし、現存するもしくは過去に存在した多種多様な生き物の来歴を自然選択の原理のみで説明できるのかと問われれば心許ない。何よりも進化は実証が難しい。様々な証拠を持ってきて、それが自然選択の原理と矛盾しないという説明を用意することはできても、物理法則のように今後の時間発展を予言したりすることは、単純な細菌の純粋培養系に対してもできない。
 生物の進化を自然選択の原理によって説明しようとする際に生じる大きな困難の一つとして、現存する生物が持つ優れた構造や機能が、数十億年という限られた時間の中で生じ得るのか、つまり進化に許された時間は十分なのかという問題がある。いくら想像することすら難しい長い年月があるとはいえ、単にランダムな変異を選択することで、今の生物が持つ美しい構造や機能が果たして生じ得るのだろうか?
 この進化の時間問題を回避するためには、生物に二つの特性がそもそも備わっていなければならないと考えられている。一つは「表現型可塑性」と呼ばれる性質である。これは、ある一つの遺伝子型を持つ生物がとりうる状態(表現型、形質)が環境条件等に応じて変化しうるという性質である。つまり子孫に引き継がれる遺伝子型を変えることなしに自身の状態をできるだけ順応させ生き延びられるという能力だ。ギリギリであっても生き延びられさえすれば、その状態を安定化したり強化したりする新たな遺伝子型の変化を待つことができる。これにより適応進化は加速しうる。この機構は「ボールドウィン効果」とも呼ばれている。もう一つは「新規性・革新性」と呼ばれる性質である。これは、わずかな遺伝子型の変化が、ときに革新的な機能や形質を生じうるという性質である。つまり、ゼロからイチを生じさせる能力だ。進化によって徐々に身長が大きくなるといった漸進的変化だけでなく、それまで全く存在しなかった器官が生じたり、新しい代謝機能を獲得したりできる能力だ。このような二つの性質が生物に備わっていれば、進化は大きく加速すると考えられる。
 最近我々が関わった研究において、生物の表現型可塑性と新規性の威力を大いに感じる機会があった。
 一つは表現型可塑性に関する研究である。生き物は常に様々なストレスに晒されうる。実際多くの細菌は、飢餓、温度、放射線、浸透圧、ファージ、抗生物質など様々なストレス環境に晒されている。しかし細菌はこれらの外的ストレスに対して極めて高い順応能を有している。一方、細菌の生存を脅かすストレスは内部からも生じうる。たとえば細菌自身が持つ必須遺伝子に変異が入る場合などである。通常このような変異が入ってしまった個体は集団中で淘汰されてしまうため、変異が入ってからの状態変化の詳細を調べることは難しい。
 そこで我々は大腸菌に少し細工をした。同じく教養学部の佐藤守俊先生の研究室で開発された光遺伝学技術を利用させてもらい、ある抗生物質の存在下で生存に必須となる耐性遺伝子を、光照射によって任意のタイミングで欠損させられる大腸菌を作製した。さらにその大腸菌の遺伝子欠損後の状態変化を、我々の研究室が得意とする1細胞観察技術を駆使して、長期的に1細胞レベルで追尾するという実験を行った。
 抗生物質存在下で大腸菌から耐性遺伝子をノックアウトすると、予想通り各細胞の増殖率は低下し、やがて成長をほぼ停止した。しかし、そのまま懲りずにそれらの細胞を観察し続けると、驚くべきことに耐性遺伝子を持たない大腸菌の実に40%が抗生物質存在下で徐々に成長能を回復し、やがて安定に増殖できる状態に戻ってきたのだ。我々は最初、耐性をもたらす新たな変異を大腸菌が獲得した可能性も疑ったが、いくら調べてもそのような変異は見つからなかった。つまり大腸菌は致死的な変異に対し、長時間かけて自身の状態を変化させ、その変異に折り合いをつけて順応してきたのだと考えられる。この結果はまさに、大腸菌が高い表現型可塑性を持つことを改めて確認するものであるとともに、一見致死的と思われる遺伝子型に対する内的摂動にも順応し生き延び続けられる能力を持つことを示している。
 もう一つ本稿で触れたいのは共生進化に関する研究結果である。突然話が変わってしまうが、多くの昆虫はその内部に必須共生細菌を保持している。共生細菌を除くと、そもそも昆虫が成長・生存できなくなる場合も多い。産業技術総合研究所の深津武馬博士らのグループでは、チャバネアオカメムシをモデルとしてこの昆虫が進化の中でどのように細菌と共生関係を樹立してきたかについて研究を進めていた。その中で、もともとチャバネアオカメムシとは何の関係もない大腸菌の実験室株が、進化によりチャバネアオカメムシの必須共生細菌に進化できることを明らかにした。つまり昆虫と大腸菌の共生進化を直接実験室で再現することに成功してしまったのだ。我々も、共生進化の各段階にある大腸菌の表現型解析でこの研究に携わったが、進化段階が進むにつれ、共生細菌の特徴である成長能の低下や細胞形態の不安定化が大腸菌に起きていることを目の当たりにし、驚きを禁じ得なかった。
 この研究の最も驚くべき結果は、大腸菌実験室株からたった一個の遺伝子を欠損させれば共生が成立することを明らかにした点である。つまり共生能という新規形質が、僅かな遺伝子変異によってもたらされうることが明らかになったのだ。
 このような大腸菌が示す表現型可塑性や新規性・革新性を目の当たりにすると、実は進化はすぐそばでかなりのスピードで進行しているのではないかと思われる。ここ十年ほどで、次世代シーケンサーや自動計測装置などを利用して、細菌や微生物を中心に進化過程をリアルタイムかつ詳細に計測することが可能になってきている。進化学と言えば、検証不可能な学問という印象を個人的には持っていたこともあったが、今や進化学は実証科学としての展開期を迎えている。

(相関基礎科学/物理)

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