HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報640号(2022年11月 1日)

教養学部報

第640号 外部公開

胚発生における「力」と「形」そして「向き」

道上達男

 我々の体は卵からつくられる。卵は細胞一つなので、細胞の数をどんどん増やす必要があるが、単に増やしただけでは細胞のかたまりができるだけである。一方、体には頭や腕・足が、更に体内には脳や消化管など様々な構造がある。こういった構造は、発生の初期、細胞の集団が協調的に動き変形することで構築される(これを形態形成運動という)。細胞の動きや形の変化を正しく制御するためには、細胞内に偏って存在するタンパク質が必要となる。これまでの研究では、どのタンパク質がこうした制御を行っているかが調べられてきた。しかし、モノの有無だけで仕組みが全て説明できたことになっているのだろうか。
 胚発生の過程で、細胞は様々な動きをするが、その時、細胞には力がかかる。また、細胞自体の物理的性質(例えば硬さ)もそれぞれ違っているので、それらの結果、細胞の形自体もそれぞれに変化する。ブロック形のスポンジを手で引っ張った時のことを想像すると分かりやすい。そして、力、形、物質のかたより......こういったことは、全て互いに相関関係がある。近年、生物学の分野ではメカノバイオロジーとよばれる、生命現象への「力」の関与・重要性を示す研究分野が注目され、興味深い研究成果が多く発表されている。例えば細胞分裂では、細胞にかかる力や細胞の形が変化すると分裂方向が変化するし、幹細胞からの細胞分化では、細胞の下の土台の硬さが違うと分化する細胞の種類が変わることも知られている。初期発生の様々な局面でも、細胞にかかる力、そして細胞の形そのものの重要性が明らかになってきている。
 卵は受精後しばらくたつと、どの場所が体のどの部分になるかがざっくりと決められる。この時、単に細胞の位置だけでなく、細胞の〝向き〟の決定も重要である。上述の通り、細胞の向きはあるタンパク質のあるなしで決まるのだが、ではそのタンパク質のあるなしはどのように決まるのだろう。私たちが注目したのは、将来脳などの中枢神経となる「神経板」とよばれる、平たく薄い領域に位置する細胞の向きである。こういった、平面に並ぶ細胞の極性は平面内細胞極性とよばれ、これまで約二十年にわたり形成機構が調べられてきた。神経板で細胞極性が決まる理由は、これまでは胚全体に存在する物質の濃度勾配で説明されてきたが、細胞にかかる力も関係しているのでは?と考えたのがこの研究のきっかけである。
image640_4-1.png 「prickle3」というタンパク質は、神経板では細胞の前側だけに局在する。言い換えると、神経板の細胞では、prickle3タンパク質は全部同じ偏り方をする。興味深いことに、この局在は力の影響を受けることが分かった。例えば、神経板になる部分を胚から切り出し、それをシリコンチャンバーに貼り付けて引っ張ると、prickle3の局在が引っ張った方向に見られる。逆に、神経板のごく一部をレーザーで焼き切り、細胞間にかかっている力を弱めると、予想通りprickle3の局在が弱められた。ただ、我々の解析から、この局在は力が「直接」制御しているのではないことも見出した。ここで着目したのは細胞の「形」である。先ほどのシリコンチャンバーでの引っ張り実験では、引っ張り方向にprikcle3の局在が揃うというよりは、細胞の形の細長い方にprickle3が局在しやすいことを見出した。もちろん、細胞を引っ張るのだから、引っ張り方向に伸びた細胞が増えるのだが、おそらく、関係するのは力だけではなく形も大事なのである。このように胚発生は、モノの有無に加え、力や形がお互いに関係しあって成り立っているということが、この研究の結果から透けて見えてくる。こういった関係性は胚発生だけでなく様々な生命現象で見出される。ただ、力や形がどのようにタンパク質の局在を変化させるのか、細胞は力の「何」を感じ取るのか、ということは、昨年piezoというタンパク質がメカノセンサーとして働くことを発見した業績にノーベル生理学・医学賞が与えられたが、それ以外の仕組みも想定されており不明な点がまだ多く残されている。私の研究室でも、引き続きカエルの卵を使い、この関係を更に突き詰めていきたいと考えている。

(生命環境科学/生物)

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