HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報641号(2022年12月 1日)

教養学部報

第641号 外部公開

<駒場をあとに>バーチャルになった駒場

トム・ガリー(Tom Gally)

image641_2-1.JPG 私はいつから「駒場」という地名を知っていただろう。一九八三年、二十六歳のときに来日するまではきっと知らなかったと思う。東京大学の存在は、その前、母国アメリカにいたころには認識していたはずだが、日本に関する知識が浅く日本語学習もまだ始まっていなかったので、大学自体についても明確なイメージを持っていなかったと思う。
来日後の約二十年間、フリーランスの翻訳者、コピーライター、辞書編集者、英語教師などとしてアカデミアの外で生きていたので、「駒場」が井の頭線の駅名に含まれるとは知っていても「東大」との関係はよくわからなかった。二〇〇二年に本郷の理学系研究科でパートタイムで英語を教え始めてから、院生たちから「駒場」の体験談を聞くようになって、そこでも東京大学の教育が行われているとやっと知ったのだ。
 思いがけないことに、二〇〇五年十月からは長年続いていたフリーランスの仕事をやめ、駒場でフルタイム教員として着任することになった。そのときから駒場と親しくなった。緑豊かな構内、建物の周辺に棲みつく猫たち、徒歩圏にある渋谷の雑踏はいずれも印象的だったが、私にとっての駒場は主に職場になった。

 今から振り返ると、駒場はたいへん面白い職場だった。その前のフリーランスもやりがいのあるキャリアだったが、一人で働くとどうしても仕事の範囲と規模が限定されてしまう。翻訳は高い専門知識を必須とする職業だが、生計を立てるためにはクライアントに依頼された文章だけを翻訳することがほとんどで、自分で題材を選べることは稀だった。教育の仕事では、自分が担当してきた授業の内容は自分で決められたが、それより大きな規模、例えば教育プログラムの理念やカリキュラムについては、ブツブツと不満を漏らすことはできてもそれを動かすことは不可能だった。
 しかし、駒場の教員になったら、様々な大きな試みに参加できるようになった。二〇〇八年から始まったALESSは理系一年生全員が履修する英語授業だが、私はALESSの企画と運営において中心的な役割を担った。その後、文系の学生向けのALESAやスピーキング養成のFLOWの企画にも参加した。英語プログラム以外にも、初年次ゼミナール理科、グローバルコミュニケーション研究センター、国際人材養成プログラム(GSP)などの運営にも貢献することができた。私は元々マネージメントには向いていないが、多数の教職員の協力のおかげでそれぞれの業務を全うすることができた。
 長いフリーランスの期間には知的活動を一人でほそぼそ続けたが、研究らしい研究はしなかった。でも、駒場の教員になったら研究も仕事の一部となったので、英語教育を中心にわずかながら業績を残すことができた。特に、二〇一六年から機械翻訳の質が急に上がると、それが持つ日本の外国語教育にとっての課題について学内外で発言するようになった。二〇一八年から一年間のサバティカルをいただいた間には、十九世紀に来日した英米人の旅行記をデジタル本に編纂して(Japan As They Saw It, gally.net、二〇一九年)、そして英語や英語教育について自分なりの考えをエッセー本にまとめることができた(『英語のアポリア』、研究社、二〇二二年)。
でも、駒場をあとにしたら、私の記憶に強く残るのは組織運営の経験や自分の微々たる研究ではなく、学生たちや同僚の教職員たちとの日々の交流に違いない。知的な面でも情緒的な面でも、皆さんに出会えて本当に良かったと思う。この最後の三年間は、ずっと在宅勤務をしているので対面では誰とも会っていないが、日々のメールやズームで交流を続けられた。この三年間にできたこのバーチャル駒場はこれからも私の心にずっと生き続ける。
 定年後は一応フリーランスに戻る予定だが、若いときほど懸命に働くつもりはない。主な日課は同居している孫と遊ぶことだ。

(グローバルコミュニケーション研究センター/言語情報科学/英語)

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