HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報641号(2022年12月 1日)

教養学部報

第641号 外部公開

<本の棚>劉 傑・中村元哉 著『超大国・中国のゆくえ1 文明観と歴史認識』

阿古智子

image641_2-3.jpg  中国で、政策の基本方針などを決める五年に一度の共産党大会が始まった十月十六日、その日に日本に到着するはずだった中国の知識人夫妻が拘束されたという知らせが届いた。なぜ、緊迫度が増す日に日本に来るのを止めなかったのか。私が彼らと連絡していた内容に何か問題があったのか。
 結果的には、その情報を私に届けた人の勘違いで、知識人夫妻は無事に日本に到着していた。大袈裟かもしれないが、私は地獄から天国に連れ戻されたように感じた。
 三十年以上、私は中国と関わってきたが、自分の身近な範囲に限っても、この十年は特に多くの研究者やジャーナリスト、弁護士など知識人が拘束され、軟禁状態に置かれ、刑務所に送られている。これほどまで言論・思想を統制しようとする世界第二の経済大国・中国は、どこへ向かおうとしているのか。
 私は本シリーズ『超大国・中国のゆくえ』の五巻目『勃興する民』を担当し、現代中国の格差社会の構造、揺れ動く言論空間、知識人や市民社会について書いた。シリーズを完結するのは、本学の中村元哉教授と早稲田大学の劉傑教授の共著による本書だ。清末・中華民国期から現在に至るまで、長い時間軸をとって中国で登場したさまざまな文明論を分析し、その歴史認識をあぶり出している。
 本書は論争に通底する文明モデルは二つあると指摘する。一つは文明はやがて同じ地点に到達するはずだとする一元的発展モデルであり、進歩史観、リベラリズムを基軸とする近代西洋文明論だ。もう一つはマルクス主義(唯物史観)の発展段階論に根ざした理論で、人種、言語、地理環境などによって異なる文明があると見る歴史的多元発展モデルだ。
 中国では一九一一年に辛亥革命が勃発し、翌年、西洋文明式の共和国である中華民国が成立した。立憲君主制ではなく国民主権の立憲民主制を採用するというあまりにも急激な伝統から近代への移行で、多くの混乱が生じた。その後、儒教規範が動揺する中で、文明モデルに関する論争が活発に行われた。例えば、憲政は中国の文化的土壌に合わず、儒学を規範とする賢人政治しか中国には選択肢がないと見る思想家の梁漱溟に対し、社会学者の費孝通は下から上への「無形の軌道」を読み取る伝統中華の政治の仕組みは、民意に基づく憲政と同等の機能をもっており、中国でも憲政が実行可能だと主張した。一九四〇年代、胡適を先駆者とするリベラリズムを高揚させていた多くの知識人たちは、費孝通のように憲政を支持したのである。しかし、左派系知識人たちは資本主義社会の憲政を粉砕し、社会主義社会の新たな政治を制度化するため、文化論の有効性を認識していた。
 一元的発展モデルとしての近代西洋文明論を実践する一方で、その動きを否定する力学として歴史的多元発展モデルの一種としての伝統中華論と一元的発展モデルの別種だった発展段階論に基づく社会主義文明論を混在させる中、中華民国の憲政は台湾へと縮小していく(台湾でも憲政は長らく凍結された状態に置かれた)。
 しかし、異なる文明観の接触する過程で発達した近代メディアは権力側の政治的意図に反して、自由な領域を拡大しようとした。二つの文明のはざまがどのように生じたのかを見るため、本書はメディアをめぐる自由観、その自由観の下で整備された近代法制、法制を取り巻く内外環境に目を向ける。著作権をめぐる公権(国家〈政府〉との関係において憲法上保障されるべき権利)と私権(私人間の関係において主張されるべき権利)の混同についての分析が興味深い。
 中華人民共和国になると国家による言論空間への統制が強化され、書店の国有化や検閲制度の構築が進んでいく。
 著者は文明や文化をめぐる論争には、文明への誇りと革命史に対する見方が関わっていると指摘する。習近平国家主席は、二〇二一年の演説において、「正史」を信じず、「野史」をもって共産党の歴史を低俗な娯楽のように扱う現象が共産党の権威を傷つけると述べた。では、現在の、これからの中国はどのような文明観をもって、国を発展させようとするのか。
 中国が近代的な文明という概念で自己を認識するようになったのは、日本を介してであった。中国のナショナリズムも愛国も、「日中友好」も歴史認識と深く関わっている。近現代中国の文明観と歴史認識に対する内在的な理解が日本のそれらに対する理解をより成熟させる、という本書の問題提起に首肯させられた。

(国際社会科学/中国語)

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