HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報641号(2022年12月 1日)

教養学部報

第641号 外部公開

<駒場をあとに>美術史の「市民権」

三浦篤

image641_3-1.jpg 一九九三年から三十年間にわたって勤めた「駒場」を去るにあたり、教育、研究、学内行政それぞれについて思い起こすことは多々あるが、ここでは私の専門である「美術史」と駒場との関係について述べることにしよう。
 旧フランス語教室の一員としてフランス語を教え始めたとはいえ、教養学部カリキュラム改革の流れの中で、総合科目として「美術史」を教えるのが、まずは私の重要なミッションとなった。これは少し説明が必要かもしれない。実はそれまで、駒場には専門として「美術史(学)」を教える専任教員がいなかった。そもそも、イメージを扱う美術史は趣味的な学問と見なされる風があり、実際は文字資料の厳密な読みや画像を分析するリテラシーを必要とする学問であることが、あまり認識されていなかった。その意味で、駒場に美術史の専任教員を置くのは画期的な決断と言ってよかった。
 私は美術史ほど「一般教養」に向く科目はないと考えている。美術作品にはその時代の社会や文化に関わる多くの要素が凝縮していて、何の助けも借りずに一筋縄で理解することは難しい。西洋美術史を教えることを通じて、学部新入生のまだ鮮度の高い知性と感性に西洋芸術の精髄を注入し、初めて見る西洋絵画を自力で観賞できるところまで引き上げる授業は、本当にやりがいのある仕事であった。ほぼ毎年休むことなく担当したのも、私なりにその意義を自覚していたからで、延べ数千人の美術ファンを増やしているはずである。
 また、超域文化科学専攻比較文学比較文化コースの大学院では、手探りしながら専門の美術史研究者を駒場で初めて育成したわけだが、学際的、国際的な視野を意識した優秀な人材が育っていったのは、やはりこの先鋭にしてリベラルな環境がうまく作用したのだと思っている。確かにしっかりした修士論文、博士論文を書かせるための苦労はあったが、彼らが大学、美術館、新聞社、図書館など多彩な領域で活躍してくれるのを見るのは、定年後の大きな楽しみにほかならない。美術史の面白さを広めていってほしいと願っている。
 美術史といえば、駒場の美術博物館もまた、私にとって重要な関心事となった。着任して美博委員になった頃は、未だ美術博物館とは名ばかりで、旧制一高以来図書館として使われてきた現在の建物の二階(一階は教務課)に限られたスペースがあるばかり、本格的な活動などは夢のまた夢であった。それでも、後に詳しく調査研究し、修復まですることになる山本芳翠の《鮫島尚信像》と出会ったときには、まるで日の目を見させてくれと作品が私に呼びかけているようであったと記憶する。
二○〇三年、建物に全面改修が施され、美術博物館はようやくその名にふさわしい空間を得て再スタートし、保存と展示活動を行える施設に生まれ変わった。私は二○一二年から十一年間館長を務めたが、外部資金を獲得して近代日本画コレクションを数年がかりで修復し、展覧会を結実させたことを始め、大学の美術博物館にふさわしい活動をスタッフとともに継続できたのは幸いであった。美術博物館は駒場の教員の研究を開示し、学生を教育する場でありたいし、外部の美術館とも連携し、一般の方々が来場する社会に開かれた施設でもありたい。そうした好循環が回り始める段階にまで、何とか来られたのではないかと思っている。
 駒場の寛大さは本当にありがたく、比較的自由に外国で調査研究をさせてもらったし、長期の研究休暇をいただけたのもありがたかった。もっとも、二〇〇八年にパリ第4大学の招聘教授としてフランス国立美術史研究所に赴いたときは、院と学部の授業を週3コマ持ち、成績評価まで行ったがゆえに、さすがに研究を後回しにして、授業準備に追われて大変であった。彼我の教育、研究の在り方の違いを、それこそ身に沁みて実感した貴重な体験と言えなくもないが、言葉の問題も含め苦労が多すぎて、もう一度やってみたいとは思わない。ただし、相互的に組織した多くの国際シンポジウムも含めて、厚みのある海外交流を積み重ねることによって、研究のネットワークが広がって行ったことは否めない。
 ふと気がつけば、近年美術史を専門とする同僚が少しずつ増えている。私が三十年前に感じた学問的孤独感はすでに過去のものとなっている。美術史ははたして駒場で「市民権」を得たのであろうか。いずれにせよ、私が根付かせたものは今後とも引き継がれ、さらに豊かなものに変容していくに違いない。むろん、私とても定年を迎えたとはいえ、研究者として終わったわけではなく、やり残した課題は山ほどあり、これから一つずつ実現できるよう、体力と知力と視力の維持に努めたいと思う。
 まだまだ言い足りないことはあるが、ともあれ愉しくも充実した時間を長きにわたって過ごさせていただいた。同僚の先生方、職員の方々には感謝の言葉しかない。駒場のさらなる発展を祈念するばかりである。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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